サンディニスタ革命
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サンディニスタ革命とはニカラグアの革命運動の呼称でサンディニスタ運動ともいう。サンディニスタとは、正式名称サンディニスタ民族解放戦線(FSLN)で、1934年に暗殺された革命家サンディーノ(A.C.Sandino)にちなむ名称。
[編集] 概要
この運動はキューバ革命の影響を受けており、1961年にカルロス・フォンセカ(1976年に暗殺された)の指導のもとに、独裁的支配を続けてきたソモサ体制に反対して起こった。国境地帯や山岳地でのゲリラ活動を主としていた。
1974年ごろから反ソモサの動きが広まり、1978年には体制側により反政府系新聞社主ペドロ・ホアキン・チャモロが暗殺されるに至った。これを契機に反ソモサ勢力の中にはサンディニスタへの支持基盤が広がり、結果的にチャモロ社主の暗殺は、却ってソモサ体制をより大きくを揺るがすこととなった。
1979年7月、サンディニスタの大規模な軍事攻撃や市民のゼネストは遂にアナスタシオ・ソモサ・デバイレを亡命に追い込み、民族再建政府が樹立された。革命政府は土地改革・識字運動・ソモサ家の財産没収などの政策を実行した。これら急進的な政策に反対する穏健派革命勢力(サンディニスタの一部を含む)は下野し、更にその一部はソモサ派残党と手を結んで「コントラ」と呼ばれる反革命勢力に加わった。
1980年代に入るとアメリカが経済援助を停止して経済封鎖を続け、またコントラを支援した。1984年の総選挙で、これまで民族再建会議議長であったダニエル・オルテガが大統領に就任し、非同盟と混合経済を謳う新憲法が発布された。1988年にコスタリカ大統領のアリアスの和平提案が旧中米連邦5カ国の大統領によって調印されたが、完全な実行には至らなかった。
長引く戦闘の重圧と経済疲弊の中で行われた1990年の総選挙で反サンディニスタ側が勝利、ペドロの妻ビオレタ・チャモロが新大統領となり、サンディニスタ革命は終焉した。
[編集] 文献
- 岡部広治『たたかうニカラグア』新日本出版社、1986年10月、ISBN 4406014578、[1]
- 藤井満『ニカラグアを歩く 革命と内戦の今昔』日本図書刊行会、1997年4月、ISBN 4890392130
- V.ニィスキー、M.ベルヤット(共著)『ニカラグア サンディニスタ革命』ありえす書房、1985年10月、[2]
- V. Nizskii, M. Beriat, Nicaragua:revolution for the people
- ディーター・マズール(関西ラテンアメリカ研究会訳)『ゲリラのまなざし ニカラグア革命外史』現代企画室、1989年8月、[3]
- Dieter Masuhr, Los ojos de los guerrilleros
- 村田信『ニカラグア賛歌 サンディニスタに栄光あれ』啓文社、1991年10月、ISBN 4772914137
- 吉田ルイ子『サンディーノのこどもたち 私の見たニカラグア』大月書店、1985年11月、[4]