シャンバラ (バンド)
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シャンバラ(SHAMBARA)は、1989年当時カシオペアのメンバーだった櫻井哲夫と神保彰によって結成されたボーカルバンド。しかし、これが原因で二人はカシオペアを離脱することになった。
[編集] 参加メンバー
[編集] 活動史
1988年に国内外でおよそ100カ所にわたるライブを敢行したカシオペアは、翌1989年初頭からバンドでの活動を休止させ、メンバーそれぞれの個人活動期間に入った。櫻井哲夫と神保彰はミュージシャンを集めて、カシオペアの音楽性とは全く正反対な日本語によるボーカルバンド、シャンバラを結成し、アルバム『SHAMBARA』をレコーディングする。バンドだけに単発的なプロジェクトではなく、しかもこれは当時隆盛を誇ったMZA有明によるイベントプロジェクトとして企画された大々的なものであった。当時20歳代全般にわたるカシオペア・ファンとMZA有明の顧客層が重なったからである。先述のアルバム『SHAMBARA』は同年7月20日に発売。同日と翌日には、MZA有明で発売記念ライブをする(9月にも同所で2DAYSライブを敢行)。また、サウンドだけでなく、ヴィジュアル面にも力を入れ、そのヴィジュアルプロデューサーにはファッションデザイナーの山本寛斎を招き、氏の服をステージ衣装にしたり、ライブのステージセットなどもデザインして貰った。
しかしながら、このシャンバラ・プロジェクトには、残ったカシオペアのメンバーで、リーダーである野呂一生と向谷実が異議を唱える。「シャンバラの今後の継続的な活動は、直に迫るカシオペアの活動再開に支障を与える」として二人に活動停止を要請。これに対し、櫻井と神保はカシオペアの活動と両立出来ると主張。野呂・向谷と櫻井・神保の両陣営は最後まで平行線を辿って物別れになり、櫻井と神保はこの年をもってカシオペアを脱退してしまう。そして二人は翌1990年、企画色が強いシャンバラのプロジェクトの活動母体となるカシオペアと同じフュージョンシーンのユニット、ジンサクを結成。ジンサク活動の年はシャンバラは活動しなかったが、メンバー入れ替えによる新編成を計画していることなどは発表していた。しかし、諸事情により結局はそのまま自然消滅してしまい、ふたりの活動は以後ジンサクに専念していった。