ジグミ・シンゲ・ワンチュク
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ジグミ・シンゲ・ワンチュク(Jigme Singye Wangchuck, 1955年11月11日 - )はブータン王国第4代国王(在位1972年7月21日 - 2006年12月14日)。1972年16歳で即位。開明的な国王として知られる。ジグメ・シンゲ・ワンチュク。ラテン文字転写表記は 'Jigs med Seng ge dBang pyug。
[編集] プロフィール
1955年11月11日ティンプーのデチェンチョリン宮殿にて誕生。インドと英国に数年間留学の後、国王の為にパロに設立されたウゲン・ワンチュク・アカデミーで、少数の学友と共に内外から厳選された教師団による教育を受ける。1971年に計画委員会議長に就任。1972年には、実質上の皇太子となるトンサ・ペンロプに任命された。同年7月21日、第3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクが外遊先であるケニアのナイロビで崩御したため、急遽第4代国王に即位。この時点で彼はまだ16歳であり、世界最年少の国王として話題となった。2年後の1974年6月2日、戴冠式を迎えた。1988年10月31日に結婚。名門の出身ウギェン・ドルジ氏と、同じく名門の出であるトウジ・ザム夫人の6人姉妹のうち2女から5女を娶り、5男5女をもうける。1999年には戴冠25周年を迎えた。 2006年12月9日に勅令を出し、14日に長男のジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクに譲位した。
統治面においては、その手腕を大いに発揮し、第3代国王の時代から進められてきた、国際社会参画と国内政治改革を一層推進した。内政に関しては、保守的な面と革新的な面を併せ持ち、国民総生産にかわる「国民総幸福量」(GNH)という概念を提唱したことでも有名である。
革新的な面としては、1998年以降の国王権限の縮小を挙げる事ができる。国家主席の返上と国家元首への専念を基本とし、国民議会に国王不信任決議の権利を付与し、国王定年制を提案、閣僚任命権を放棄し国会議員による無記名信任投票とし、任期を5年に定め、内閣を刷新した。また、国家主席の職を担う首相職を設立し、各閣僚が任期1年の輪番制で首相を担当するというシステムを導入した。また、急速な近代化を憂い、「急ぎ過ぎない開発」を主眼とした自然環境の保護を進めている。尚、国王の権限縮小は第3代国王の時代から徐々に実施されてきており(例えば1968年の国民議会議決拒否権の放棄、1969年の国民議会への国王不信任決議権付与)、形式上は絶対君主国家ではなくなった。
一方、保守的な面としては、国家的アイデンティティの補強が挙げられる。1985年の公民権法改正以降、急速な西欧化に苦慮した政府は、1989年に「ブータン北部の伝統と文化に基づく国家統合政策」を施行し、チベット系の民族衣装着用の義務付け、ゾンカ語の国語化、伝統的礼儀作法(ディクラム・ナムザ)の順守などを実施した。これに不満を持ったネパール系住民が1988年以降反政府運動を繰り広げ、後に国外流出を招き、「南部問題」としてブータン政府を苦悩させた。
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