ジャック・ブルース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジョン・サイモン・アッシャー「ジャック」ブルース(John Symon Asher "Jack" Bruce , 1943年5月14日 - )は、スコットランドのミュージシャン。エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカーと共にクリームで活動。リードヴォーカル、ベース、ハーモニカ、チェロ、ピアノなどを担当。
ブルースはラナークシャー郡ビショップブリッグスで生まれ、スコットランド王立音楽学院でチェロと作曲を学ぶ。17歳でドロップ・アウト、グラスゴーを離れロンドンに。
[編集] 来歴
1962年にピアニストのマイク・テイラー、ジンジャー・ベイカー、グレアム・ボンドらとドン・レンデルのジャズ・グループに参加する傍らアレクシス・コーナーのブルース・インコーポレイテッドにも参加する。1963年になるとR&B系のホンク・サックスを主題とするグレアム・ボンドのコンボ、グレアム・ボンド・オルガニゼーションで頭角を現す。グループにはジンジャー・ベイカー、ディック・ヘクストール=スミスや一時期ジョン・マクラフリンらが加わっていた。ステディーな4ビート・ジャズとブルースをミックスしたサウンドは鮮烈で、ステージングは過激、発火した様なブルース・ハープによるプレイ等で注目を浴びる。ただ音楽の方向性などでブルースとベイカーの中は険悪であり、ステージ上で演奏を放棄したり、殴り合ったりすることは日常茶飯事であった。結局バンドの主導権を握ったベイカーはブルースを解雇した。
ブルースはエレクトリック・ベースに持ち替えてジョン・メイオールのブルース・ブレイカーズや兼シンガーとしてマンフレッド・マンと共に活動するが、1966年になるとロバート・スティッグウッドのプロダクションにマネージメントを置き、ベイカーとブルースの持つジャズの即興性とピート・ブラウンのビートニク、エリック・クラプトンのもつ情熱的なブルース・フィーリングをミックスしたスーパー・グループ、クリームを結成することとなった。お互いの敵意にもかかわらず、ブルースとベイカーはバンドのため共に活動を行ったが、そこにクラプトンも加わってのエゴの衝突が繰り返される。クリーム在籍時の1967年にはマイク・テイラ・トリオのアルバム『トリオ Trio』に参加している。
パワー・トリオの走りとして活動を続けたクリームであったが、1968年末に解散する。翌1969年、ファースト・リーダー・アルバム『ソング・フォー・ア・テイラー』(Polydor/RSO)をリリース。表題は同年に不慮の死を遂げたマイク・テイラーに捧げられている。
1970年になるとラリー・コリエル、ミッチ・ミッチェル、マイク・マンデルによるメンバーでライヴ活動を再開する。同年トニー・ウイリアムのライフタイムに参加。「Tony Williams Lifetime / Turn Ot Over」(polydor)、RSOからはへクストール=スミス、マクラフリン、ジョン・ハイズマンとのカルテットで1968年に録音されたジャズ・インストルメンタル・アルバム『シングス・ウイ・ライク Things We Like 』がリリースされる。
1971年、ソロ・キャリア2作目『ハーモニーズ・ロウ』(Polydor/RSO)を発表、ブラウンによる詩以外ほとんどの楽器を担当、ニュークリアスのクリス・スペディング、ジョン・マーシャルらが参加した。Uk国内ツアーではスペディング、マーシャルにアート・サーマン、グレアム・ボンドの二管を加えたJack Bruce & Friendsを編成、精力的なライヴ活動を行う。
1972年にはマウンテンの二人レスリー・ウエスト、コーキー・レイングとのトリオ、ウエスト・ブルース・レイングを編成。スタジオ・アルバム2枚、ライヴ・アルバムを1枚リリースする。来日も予定されていたが直前に解散したため、ジャックの代わりにフェリックス・パパラルディが緊急召集され、マウンテンが代わりに来日。
1973年、ルー・リードのアルバム『ベルリン Berlin』の制作に参加。
1975年にはローリング・ストーンズのミック・テイラー、カーラ・ブレイ、ブルース・ギャリー、ロニー・リーハイによるザ・ジャック・ブルース・バンドを結成し活動を再開する
1976年、ヒューイ・バーンズ、トニー・ハイマス、サイモン・フィリップスのThe Jack Bruce Band名義による初のアルバム『ハウズ・トリックス How's Tricks』(Polydor/RSO)を発表。
1978年にも同バンド名義でスタジオ・レコーデイングを行うも発売には至らず保管される。
1979年10月からはジョン・マクラフリンのユーロッパ・ツアーに参加し、翌1980年になるとアメリカでビリー・コブハム、クレム・クレムソン、ディビッド・サンシャスらと共にジャック・ブルース & フレンズとして活動。
1981年、ロビン・トロワーの主導よるトリオ、ブルース・ローディン・トロワーでアルバムを録音。2月『B.L.T.』(Chrysalis Records)をリリース、またChrysalis Records所属のトレヴァー・ラビンの3作目『Wolf』のレコーディングにも参加。
1982年、アメリカのジャズ・ピアニスト/シンガー、モーズ・アリソンのスイス・モントリオール公演に参加。
- 1992年ドイツのCMP Recordsと契約。
- 1994年、ジンジャー・ベイカー、ゲイリー・ムーアとのBBMを結成、BBMによるスタジオ録音作品『白日夢 Around The Next Dream』(東芝EMI / Virgin Records)をリリース。
- 1996年、マイケル・マントラーのプロジェクトに詩の朗読で参加。
- 2001年、サルサ等のラテン・ミュージックをミックスしたJack Bruce and the Cuicoland Expressを編成。ロビー・アミーン、エル・ネグロ・オラシオ、バーニー・ウオーレル、ヴァーノン・リード。
- 2002年、福岡、大阪のブルーノートにて公演を行う。
- 2005年5月クリーム再結成コンサートをロンドン・ロイヤル・アルバート・ホールで行う。6月ゲイリー・ムーア、ギャリー・ハズバンドのトリオでディック・ヘクストール=スミスの追悼コンサートに参加。同年10月クリームによるニュー・ヨーク、マディソン・スクエア・ガーデン・コンサート。
[編集] ディスコグラフィー
- 『ソング・フォー・テイラー』 - Songs For A Tailor (September 1969)
- 『シングス・ウイ・ライク』 - Things We Like (January 1971)
- 『ハーモニー・ロウ』 - Harmony Row (September 1971)
- 『アウト・オブ・ザ・ストーム』 - Out of the Storm (Polydor/RSO, November 1974)
- 3作目のリーダー作
- 『ライヴ・75』 - Live 75 (recorded 1975, released 2003)
- 『ハウズ・トリックス』 - How's Tricks (March 1977)
- 『ジェット・セット・ジュエル』 - Jet Set Jewel (recorded 1978, released 2003)
- 『アイヴ・オールウェイズ・ウォンテッド・トゥ・ドゥ・ディス』 - I've Always Wanted To Do This (December 1980)
- Automatic (January 1987)
- 『ウイルパワー』 - Willpower (Polydor, 1989)
- 20年分のキャリアをまとめたベスト・アルバム。
- 『クエスチョン・オブ・タイム』 - A Question of Time (Epic / ソニー, January 1990)
- CBSからのオール・スター・キャストによるリーダー・アルバム。Joe Blaneyとの共同制作。
- 『サムシンエルス』 - SomethinEls (CMP, March 1993)
- 『シティズ・オブ・ザ・ハート』 - Cities Of The Heart (ジムコ/ CMP, 1993)
- 前年のバースディ・コンサートを編集したライヴ・レコーディング・アルバム。
- 『モンクジャック』 - Monkjack (CMP, September 1995)
- ブルースのピアノとヴォイス、そしてハモンド・オルガンのバーニー・ウオーレルによるデュオ作
- 『シャドウズ・イン・ジ・エア』 - Shadows In The Air (ユニヴァーサル・ビクター / Sanctuary, July 2001)
- キップ・ハンラハンとの共同制作によるエリック・クラプトン、ゲイリー・ムーアらも参加したリーダー・アルバム。
- 『モア・ジャック・ザン・ゴッド』 - More Jack Than God (ユニヴァーサル・ビクター / Sanctuary, September 2003)
- 2006年現在最新作にあたる、Jack Bruce and the Cuicoland Expressによるリーダー作品。
[編集] 外部リンク
カテゴリ: イギリスのミュージシャン | ベーシスト | 1943年生