ジャック・ラフィット
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- フランスのF1ドライバー。本稿で記載。
- 19世紀フランスの銀行家・政治家。彼についてはジャック・ラフィット (政治家)を参照。
F1での経歴 | |
国籍 | フランス |
活動年数 | 1974 - 1986 |
所属チーム | アイソ, ウィリアムズ, リジェ |
出走回数 | 176 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 6 |
通算獲得ポイント | 228 |
表彰台(3位以内)回数 | 32 |
ポールポジション | 7 |
ファステストラップ | 7 |
F1デビュー戦 | 1974年ドイツGP |
初勝利 | 1977年スウェーデンGP |
最終勝利 | 1981年カナダGP |
最終戦 | 1986年イギリスGP |
ジャック・ラフィット(Jacques Laffite, 1943年11月21日 - )は、フランス生まれの元F1ドライバー。ジャック・ラフィーと呼ばれることもある。
目次 |
[編集] プロフィール
モータースポーツのドライバーとしてはスタートが極めて遅く、1973年に30歳でフランスF3チャンピオンを獲得。翌年F1にデビューしたが、30歳以上でデビューしたドライバーの中でもっとも出走回数が多いドライバーで、当時の最高出走数記録を保持していたグラハム・ヒルに並んだ際には既に42歳になっていた。だが、そのレースのスタートの事故により両足を複雑骨折し、再起不能となった為にF1から引退することとなった。
とてもゴルフ好きで知られ、1981年のスペインGPに至っては予選中にもかかわらずタイムアタックを切り上げてゴルフに出かけてしまうなど、そのエピソードは尽きない。ちなみにその1981年のスペインGPでは予選を途中で切り上げたにもかかわらずポールポジションを獲得、決勝ではわずか0.211秒差の2位となっている。(ちなみにこのレースで優勝したのは、フェラーリのジル・ヴィルヌーヴであるが、1位から5位までがわずか1.231秒の差でフィニッシュする接戦であった)
チャンピオン獲得はならなかったものの、ハンサムな上に表情豊かなドライバーで、喜怒哀楽いろいろな顔でファンを魅了したドライバーであった。
余談であるが、同時期にルノーなどで活躍したF1ドライバージャン・ピエール・ジャブイーユとは、義理の兄弟(互いの妻が姉妹)である。
[編集] F1での主な記事
- 1974年 ウイリアムズからF1初参戦。
- 1975年 シーズンランキング12位。
- 1976年 リジェに移籍、シーズンランキング7位。初ポールポジション。
- 1977年 シーズンランキング10位。初優勝。
- 1978年 シーズンランキング8位。
- 1979年 シーズンランキング4位。2勝。
- 1980年 シーズンランキング4位。1勝。
- 1981年 シーズンランキング4位。2勝。
- 1982年 シーズンランキング17位。
- 1983年 ウイリアムズに移籍、シーズンランキング11位。
- 1984年 シーズンランキング14位。
- 1985年 シーズンランキング9位。
- 1986年 シーズン中に引退。シーズンランキング8位。
[編集] カーナンバー(F1)
- 21(1974年第11戦~1975年第3戦.5.6.8~14戦)
- 26(1976年~1982年第3戦.5~16戦.1985年~1986年第9戦)
- 2 (1983年)
- 5 (1984年)