イギリスグランプリ
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イギリスグランプリ(イギリスGP, British Grand Prix)は、イギリスで1950年から2005年現在まで連続して行われているF1のレースのひとつである。同一名称のグランプリが1年も欠かさず開催されているのは、このイギリスGPとイタリアGPのみである。1950年、F1世界選手権が初めて開催されたときの第1戦がこのイギリスGPであり、F1の中ではもっとも伝統のあるレースのひとつである。
イギリス国内で行われた、イギリスGP以外の名称をもつF1レースも本項目で記述する。
目次 |
[編集] 概要
F1グランプリとして多数開催されるうちのひとつのレースでありながら、最長の歴史とF1発祥の地という開催側の自負から、また英国を本拠とするチームや英国人が多数参戦していることから、サーキット特性も影響し毎年大変激しいレースが観られる。毎年ヨーロッパラウンドの中で行われているイギリスGPだが、唯一転戦中に移動に海峡を渡らなくてはならないにも関わらず、新車や新パーツをこのレースで投入するチームが多い。これは前述の通り英国を本拠としているチームが多いためである。
F1グランプリの第1戦としての初開催はシルバーストン・サーキットで行われた1950年のイギリスGP。以来ブランズハッチなどのサーキットでもイギリスGPは開催されたが、近年はシルバーストンでの開催が続いている。しかしながら、シルバーストンの施設の老朽化、サーキットレイアウトの陳腐化、タバコ広告禁止を含めた金銭的・興行的問題など多数の問題から、毎年のように廃止やF1開催権の返上が話題に上っているレースのひとつでもある。
[編集] 開催されたサーキット
1950年にはイギリス中部のノーザンプトン州のシルバーストン・サーキットにて開催されたあと、1954年まで連続して行われた。1955・1957・1959・1961・1962年の5回はエイントリーで、1956・1958・1960・1963年はシルバーストンで開催された。
エイントリーでF1が開催されなくなって以降は、1964年から1986年までは偶数年がブランズハッチ、奇数年がシルバーストン・サーキットで交互に開催されていたが、1987年からは連続してシルバーストン・サーキットで開催されている。
なお、1983年・1985年と1993年においては英国内各地でイギリスGPではない名称のレースが、イギリスGPとともに開催されている。詳細は後述のイギリスグランプリ以外のF1レースを参照のこと。
[編集] イギリスグランプリ以外のF1レース
英国内で実施されながら、別の名称が付与されたレースがある。1国で年内に2回の開催を行ったが、1国1開催の原則等の理由でヨーロッパGPという名称が付与された。詳しくはヨーロッパGPを参照のこと。
- ヨーロッパGP(ブランズハッチ)
- 1983年と1985年に開催。イギリスGPが開催されたこともあるブランズハッチ・サーキットで開催された。1983年はブラバム・BMWのネルソン・ピケ、1985年はウィリアムズ・ホンダのナイジェル・マンセルが優勝している。
- ヨーロッパGP(ドニントン・パーク)
[編集] 特筆すべき過去のレース
数多く開催されたイギリスGPの中でも、大きな出来事が起こった、または記念すべきレースをいくつか取り上げて紹介する。
- 1950年 記念すべき第1戦
- 1951年 常勝アルファロメオ初敗北
- 1987年 1・2・3・4フィニッシュ
- 1987年は、前年までウィリアムズ独占供給だったホンダエンジンが2チームに対して供給されるようになった年であるが、1987年7月12日に開催されたこのレースでは、前年以上の活躍を見せたホンダエンジン使用チームのウィリアムズとロータスが1位から4位までを独占するという快挙を達成した。優勝したのはウィリアムズに乗り地元出身でもあるナイジェル・マンセルで、2位は同じくウィリアムズのネルソン・ピケ、3位はロータスのアイルトン・セナ、4位がロータスの中嶋悟であった。
- この年のレギュレーションは特にエンジンに厳しく、195リットルという燃費制限対策・加給圧4バール未満というパワー対策・耐久性の規制の鼎立がエンジン開発を大変難しくさせ、またレースが開催された日も大変な猛暑であり、完走9台という凄絶なサバイバルレースとなった。本来ウィリアムズとトップを争うべき、前年年間王者でありマクラーレン・ポルシェに乗るアラン・プロストをはじめ多くのドライバーが、燃費を無理に向上させようとして燃料を薄くするなどしたが、結局エンジンを壊すなどしてマシントラブルでのリタイヤが続出した。このレースで4位に入賞しホンダの1・2・3・4フィニッシュを達成する最後の鍵となった中嶋悟でさえ、レース終盤でトップのネルソン・ピケに抜かれ2周遅れにならなければ、燃料が足りずフィニッシュライン300m手前で止まってしまい完走できなかっただろう、と当時のホンダ監督である桜井淑敏が述べている。
- 1992年 ナイジェル・マンセル独壇場
- この年は圧倒的な戦闘力を誇るウィリアムズ・ルノーを駆り、ドライバーズランキングで首位を独走していたナイジェル・マンセルの凱旋レースというにふさわしかった。金曜日のフリー走行から日曜日の決勝まで、すべてのセッションでマンセルがトップ。おまけにレース中は1ラップたりとも1位を譲らず、ファステスト・ラップも当然のように記録し、2位入賞のリカルド・パトレーゼに約40秒の大差をつけて優勝。このシーズンを象徴するかのような圧勝劇だった。
- 2003年 コースに男が乱入
[編集] 過去の結果と開催サーキット
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム |
---|---|---|---|---|---|
1950 | 5月13日 | 1 | シルバーストーン | ジュゼッペ・ファリーナ | アルファロメオ |
1951 | 7月14日 | 5 | シルバーストーン | フロイラン・ゴンザレス | フェラーリ |
1952 | 7月19日 | 5 | シルバーストーン | アルベルト・アスカーリ | フェラーリ |
1953 | 7月18日 | 6 | シルバーストーン | アルベルト・アスカーリ | フェラーリ |
1954 | 7月17日 | 5 | シルバーストーン | フロイラン・ゴンザレス | フェラーリ |
1955 | 7月16日 | 6 | エイントリー | スターリング・モス | メルセデス |
1956 | 7月14日 | 6 | シルバーストーン | ファン・マヌエル・ファンジオ | フェラーリ |
1957 | 7月20日 | 5 | エイントリー | トニー・ブルックス/スターリング・モス | ヴァンウォール |
1958 | 7月19日 | 7 | シルバーストーン | ピーター・コリンズ | フェラーリ |
1959 | 7月18日 | 5 | エイントリー | ジャック・ブラバム | クーパー |
1960 | 7月16日 | 7 | シルバーストーン | ジャック・ブラバム | クーパー |
1961 | 7月15日 | 5 | エイントリー | ヴォルフガング・フォン・トリップス | フェラーリ |
1962 | 7月21日 | 5 | エイントリー | ジム・クラーク | ロータス |
1963 | 7月20日 | 5 | シルバーストーン | ジム・クラーク | ロータス |
1964 | 7月11日 | 5 | ブランズハッチ | ジム・クラーク | ロータス |
1965 | 7月10日 | 5 | シルバーストーン | ジム・クラーク | ロータス |
1966 | 7月16日 | 4 | ブランズハッチ | ジャック・ブラバム | ブラバム |
1967 | 7月15日 | 6 | シルバーストーン | ジム・クラーク | ロータス |
1968 | 7月20日 | 7 | ブランズハッチ | ジョー・シフェール | ロータス |
1969 | 7月19日 | 6 | シルバーストーン | ジャッキー・スチュワート | マトラ |
1970 | 7月18日 | 7 | ブランズハッチ | ヨッヘン・リント | ロータス |
1971 | 7月17日 | 6 | シルバーストーン | ジャッキー・スチュワート | ティレル |
1972 | 7月15日 | 7 | ブランズハッチ | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス |
1973 | 7月14日 | 9 | シルバーストーン | ピーター・レブソン | マクラーレン |
1974 | 7月20日 | 10 | ブランズハッチ | ジョディー・シェクター | ティレル |
1975 | 7月19日 | 10 | シルバーストーン | エマーソン・フィッティパルディ | マクラーレン |
1976 | 7月18日 | 9 | ブランズハッチ | ニキ・ラウダ | フェラーリ |
1977 | 7月17日 | 10 | シルバーストーン | ジェームス・ハント | マクラーレン |
1978 | 7月16日 | 10 | ブランズハッチ | カルロス・ロイテマン | フェラーリ |
1979 | 7月15日 | 9 | シルバーストーン | クレイ・レガッツォーニ | ウィリアムズ |
1980 | 7月13日 | 8 | ブランズハッチ | アラン・ジョーンズ | ウィリアムズ |
1981 | 7月19日 | 9 | シルバーストーン | ジョン・ワトソン | マクラーレン |
1982 | 7月18日 | 10 | ブランズハッチ | ニキ・ラウダ | マクレーレン |
1983 | 7月17日 | 9 | シルバーストーン | アラン・プロスト | ルノー |
1984 | 7月22日 | 10 | ブランズハッチ | ニキ・ラウダ | マクラーレン |
1985 | 7月21日 | 8 | シルバーストーン | アラン・プロスト | マクラーレン |
1986 | 7月13日 | 9 | ブランズハッチ | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ |
1987 | 7月12日 | 7 | シルバーストーン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ |
1988 | 7月10日 | 8 | シルバーストーン | アイルトン・セナ | マクラーレン |
1989 | 7月16日 | 8 | シルバーストーン | アラン・プロスト | マクラーレン |
1990 | 7月15日 | 8 | シルバーストーン | アラン・プロスト | フェラーリ |
1991 | 7月14日 | 8 | シルバーストーン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ |
1992 | 7月12日 | 9 | シルバーストーン | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ |
1993 | 7月11日 | 9 | シルバーストーン | アラン・プロスト | ウィリアムズ |
1994 | 7月10日 | 8 | シルバーストーン | デイモン・ヒル | ウィリアムズ |
1995 | 7月16日 | 8 | シルバーストーン | ジョニー・ハーバート | ベネトン |
1996 | 7月14日 | 10 | シルバーストーン | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ |
1997 | 7月13日 | 9 | シルバーストーン | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ |
1998 | 7月12日 | 9 | シルバーストーン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
1999 | 7月11日 | 8 | シルバーストーン | デビッド・クルサード | マクラーレン |
2000 | 4月23日 | 4 | シルバーストーン | デビッド・クルサード | マクラーレン |
2001 | 7月15日 | 11 | シルバーストーン | ミカ・ハッキネン | マクラーレン |
2002 | 7月7日 | 10 | シルバーストーン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
2003 | 7月20日 | 11 | シルバーストーン | ルーベンス・バリチェロ | フェラーリ |
2004 | 7月11日 | 11 | シルバーストーン | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ |
2005 | 7月10日 | 11 | シルバーストーン | ファン・パブロ・モントーヤ | マクラーレン |
2006 | 6月11日 | 8 | シルバーストーン | フェルナンド・アロンソ | ルノー |
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- フォーミュラ1公式ウェブサイト(英語のみ)
F1世界選手権: |
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