ジョゼップ・グアルディオラ
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ジョゼップ・グアルディオラ・サラ(Josep Guardiola Sala, 1971年1月18日 - )は、スペイン国カタルーニャ州サントペドル出身のサッカー選手。ポジションはMF(ピボーテ)。
ニックネームである「ペップ(Pep)」、「ペップ・グアルディオラ(Pep Guardiola)」として広く知られる。
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[編集] クラブチームにて
カタルーニャ人の血を引き、カタルーニャの地で技を磨き、カタルーニャの人々を魅了した「ドリームチーム」を築いた1990年代FCバルセロナの象徴である。
10代の頃は痩身で、周囲からは「プロになっても通用しない」といわれていたが、ヨハン・クライフに見出されトップチーム・デビューを果たすと、以後、移籍するまで同クラブの象徴として数々のタイトル獲得に貢献した。 チームを去った現在でもグアルディオラは「バルサ・アイドル」である。日本代表の守備的MF稲本潤一は、グアルディオラを「憧れの選手」であるとした。
2001-2002シーズンからは故郷カタルーニャを離れ、イタリア・セリエAのブレシアに移籍した。2001年11月にはドーピング検査で禁止薬物のナンドロロンの使用が発覚したため、4ヶ月間の出場停止処分を受けた。
その後はASローマ、カタールのアル・アハリ、メキシコのドラドスを渡り歩き、2006年11月に現役引退を表明した。
[編集] 所属クラブ
- 1990-2001 FCバルセロナ
- 2001-2002 ブレシア・カルチョ(イタリア)
- 2002-2003 ASローマ(イタリア)
- 2003-2004 ブレシア・カルチョ(イタリア)
- 2003-2005 アル・アハリ(カタール)
- 2005 (無所属)
- 2006 ドラドス・シナロア(メキシコ)
[編集] 代表チームにて
1992年のバルセロナ・オリンピックではU-23スペイン代表の一員として金メダルを獲得。
1992年10月14日にスペインA代表にデビュー。1994 FIFAワールドカップに出場を果たすも、EURO1996ではメンバーから外された。度重なる怪我に見舞われ、1998 FIFAワールドカップ、2002 FIFAワールドカップを棒に振った。もしもいずれかの大会ででも出場していれば、低迷が続くスペインのワールドカップの歴史を塗り替えていたかもしれない、といわれており、大いに惜しまれた。
カタルーニャ選抜としても7試合に出場している。
[編集] 出場大会
- 1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会 - ベスト8
- EURO2000・ベルギー・オランダ大会 - ベスト8
[編集] プレイスタイル
世界でもトップクラスのピボーテ(守備的MF)で、このポジションの既成概念(加藤久曰く「嘗ての守備的MFと言えば、中盤に位置するストッパーのようなものだった」)を覆した選手と言っても過言ではない。
グアルディオラのプレイの特長に、抜群の視野の広さと状況判断力がある。彼は中盤のメトロノームとして、見事なサイドチェンジ・スルーパスを味方に供給することでチームにリズムを与え、「芸術」へと昇華させる。
守備的MFでありながらマンマークをつけられる選手は今でこそ多くいるが、グアルディオラこそがその先駆者であった。
中盤の底に位置し、フィジカルに依存しない頭脳的な守備と芸術的な攻撃を融合させた独特のプレイスタイルは、「ペップ」→「シャビ」→「イニエスタ」という風に、カタルーニャの地で脈々と受け継がれている。
[編集] タイトル
サッカー | ||
金 | 1992 | サッカー |
- 1990-1991 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
- 1991-1992 リーガ・エスパニョーラ - 優勝 / UEFAチャンピオンズカップ - 優勝
- 1992-1992 バルセロナ・オリンピック - 金メダル
- 1992-1993 リーガ・エスパニョーラ - 優勝 / スペイン・スーパーカップ - 優勝
- 1993-1994 リーガ・エスパニョーラ - 優勝 / スペイン・スーパーカップ - 優勝
- 1995-1996 スペイン・スーパーカップ - 優勝
- 1996-1997 コパ・デル・レイ - 優勝
- 1997-1998 リーガ・エスパニョーラ - 優勝 / コパ・デル・レイ - 優勝 / スペイン・スーパーカップ - 優勝
- 1998-1999 リーガ・エスパニョーラ - 優勝
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