ジョゼフ・カントルーブ
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マリー=ジョゼフ・カントルーブ=ド・マラレ(Marie-Joseph Canteloube de Malaret, 1879年10月21日 アルデシュ県アンノネー - 1957年11月4日 イヴリーヌ県グリニー)はフランスの作曲家。民謡曲集《オーヴェルニュの歌》で有名。
カントルーブは、「農村の歌は、形式という点ではともかくも、感情や表現という見地からすれば、しばしば芸術の最も純粋な段階を表している」と信じていた。
カントルーブはパリでショパンの門人アメリー・デゼール Amélie Daetzer にピアノを、ダンディに作曲を学んだ。最初の作品《感傷的な対話 "Colloque Sentimentale"》は1903年まで遡る。その他の作品として、歌劇《農家 Le Mas》や《ウェルキンゲトリクス Vercingétorix》がある。1925年に、オーヴェルニュの文化を普及させるための団体「ラ・ブレーLa Bourrée」を発足させた。1941年、ナチ占領下のフランスで、カントルーブはヴィシー政権に参画したが、この行動は政治的な愚直さのためだった。この間に『フランス民謡大全 Anthologie des chants populaires Français 』(1939年 - 1944年)を編纂。
カントルーブは作曲や伝統的なオック語民謡の収集だけでなく、音楽を題材に幅広い著作を物した。恩師ダンディやセヴラックについて伝記を残した。
その他に、交響詩《遠方の姫君へ Vers la princesse lointaine》、ヴァイオリンと管弦楽のための《詩曲 Poèmes》などがある。