ジョン・ハリソン (時計職人)
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ジョン・ハリソン(John Harrison、1693年3月24日 - 1776年3月24日)はイギリスの時計製作者である。渡洋航海に必要とされる経度の測定が可能な精度をもった機械式時計(クロノメーター)を初めて製作した。
ヨークシャー州フォルビーで大工の息子として生まれた。6歳の時、天然痘にかかって静養していた折に父親が贈った時計の動きに心を惹かれた。成長すると、父親の仕事を手伝いながら、独学で物理学や機械工学を学んだ。後に大工仕事の合間に自力で時計の製作を行っていたが、その時計の性能の良さが近所の話題となり、彼に時計の注文や修理の依頼を頼む者が相次いだ。このため、いつしか時計の仕事だけで生計が立てられるようになった。
彼が21歳になった1714年3月25日、イギリス海軍とロンドンの貿易商人・商船船長達が合同で経度に関する請願を英国議会に提出した。安全な航海をするためには自船の位置(経度、緯度)を知ることは重要である。だが、当時海上において確実にこれを測定する方法は存在しなかった。古くはアジア東端の経度が東に長く見積もられてクリストファー・コロンブスが新大陸を生涯アジアの一部と信じていた故事は著名である。1707年にはイギリスの艦隊がシチリア島沖において経度を見誤って海上で迷い、その結果艦隊丸ごと遭難する悲劇に見舞われた。そこで、請願を受理した英国議会は、航海中の船舶が正確な精度で現在位置の経度を測定できる方法に、2万ポンドの懸賞金をだした。実は経度を知るため方法としては天文学者が主として行っていた木星のガリレオ衛星を観測して計算で割り出す方法もあったが、観測機器の大きさと海上の揺れの問題から船上で行うには余りにも不適切であった。これに代わってアイザック・ニュートンらが提唱したのは、基準となる場所の時間と(たとえば太陽の動きから求める)自分のいる場所の時間との差から求めることができるが、基準となる場所の時間を維持する時計の製作は、航海する船上という揺れや温度の変化のある悪条件のもとでは困難をともなうものであった。
ジョン・ハリソンは1728年から7年をかけていろいろな技術を開発しH1を製作した。その後も改良した時計を製作して1761年に作られたH4のジャマイカ島への航海実験によりその正確さが立証された。が、ネヴィル・マスケリン(王立天文台所長)をはじめとする天文学者は天文学的方法による経度測定法にこだわっており、ドイツの天文学者ヨハン・マイヤーが作成した月の運行表による方法の方が「正しい測定法」だと主張してハリソンを中傷する報告書を提出し、また議会でもハリソンが庶民出身であることに嫌悪を表す者もいた。このため、公正な評価を得られず懸賞金の一部しか与えられなかった。だが、時の国王ジョージ3世は、懸賞金は経度の正確な測定法を開発した者に授けられるもので、開発者の身分に対して授けられるものではないと激怒して、今度は改良型のH5を国王臨席の実験に付すようにハリソンに命じたのである。1773年に行われた実験では彼の時計の誤差は1日あたり1/14秒に過ぎないことが立証され、議会も実験に瑕疵がないと判断した。経度委員会もこれを認めて懸賞金の残りの全額がハリソンに授けられることになった。
[編集] 備考
- 天文学者との軋轢を含めたクロノメーター開発の経緯はデーヴァ・ソベルのLongitude(邦訳:『経度への挑戦―1秒にかけた四百年』藤井留美[訳]翔泳社[1997])に描かれベストセラーになった。