ジョー・ジャクソン (野球選手)
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“シューレス・ジョー”ジョセフ・ジェファーソン・ジャクソン(Joseph Jefferson "Shoeless Joe" Jackson, 1889年7月16日-1951年12月5日)は、1910年代のアメリカメジャーリーグの外野手。1886年サウスカロライナ生まれ。マイナーリーグ時代に、スパイクが合わず足によくまめが出来たため、素足でプレーしたという逸話から、シューレスの異名がある。
1920年に現役引退。引退後はジョージアやサウスカロライナのセミプロリーグでプレイした。後に飲み屋 (liquor store) を経営。1951年に心臓発作で死去。
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[編集] 所属球団
- フィラデルフィア・アスレチックス (1908-1909)
- クリーブランド・ナップス (インディアンズ) (1910-1915)
- シカゴ・ホワイトソックス (1915-1920)
[編集] 選手としての記録
[編集] 通算成績
出典:Retrosheet ([1])後に"(+)"がある数字は、記録不明箇所があることを示す。
- 試合:1332
- 打数:4981
- 安打:1772
- 二塁打:307
- 三塁打:168
- 本塁打:54
- 得点:873
- 打点:785
- 盗塁:202
- 盗塁死:61(+)
- 三振:158(+)
- 四球:519
- 死球:59
- 打率: .356
- 出塁率: .423
- 長打率: .517
[編集] 獲得タイトル・記録
最多安打:2回、1912年、1913年
[編集] 埋もれていた記録~ルーキー最多安打
現在のルーキー資格に照らした場合、ジョー・ジャクソンが1911年に放った233安打が、それまでの「ルーキー最多安打」であったことが発見されたのは、2001年のことである。この年、イチローが1年目から200本を超える安打を記録した時からルーキー最多安打記録が話題となり、ルーキー表彰制度が始まった1947年以前の記録が改めて調べなおされた結果判明した。(2006年現在のメジャーリーグ記録は242安打である)
[編集] ブラックソックス事件
1919年の八百長事件で球界を追放された「悲運の8人」の一人である。(詳細はブラックソックス事件を参照)。復権の嘆願は多いが、2007年現在も彼はピート・ローズとともにアメリカ野球殿堂の審査対象となっていない。彼が本当に八百長に関わっていたかどうかについての議論は尽きない。問題のシリーズで、彼は打率3割7分5厘、無失策、チーム唯一の本塁打を打っているが、第1戦でバックホームを大暴投したり「本気の彼なら5割を打っていた」という主張もあったりする。
[編集] 他のエピソード
- 高打率の打者であるが、一度も首位打者を獲った事がない。同時期にライバルであり親友であったタイ・カッブがいたためである。
- 守備能力が高く、彼の守備範囲は「三塁打が死ぬところ」といわれた。
- ジャクソンやタイ・カッブ等を含めた1914年度のベースボールカードセットが、オークションで80万ドル(約8200万円)で、また直筆サイン入りバットが13万7500ドル(約1450万円)で落札されたことがある。
[編集] 外部リンク
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