ツノ銀中飛車
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ツノ銀中飛車(つのぎんなかびしゃ)は将棋の戦法のひとつ。飛車を5筋に振り、左銀を6七におく構えをいう。相手が急戦の場合はこのまま対処する。この場合を特に「片ツノ銀」という。
持久戦の場合は右銀を4七に、右金を3八(ないし4八)に、玉を2八(ないし3八)に構える。(この囲いを「木村美濃」という)左金は7八に構えることが多い。左右対称的な構えである。本来左金がいるべき5八には、飛車がいるためこのような構えとなる。2つの銀が「ツノ」のように見えることから、この名前がついた。戦いながら左の金銀を手順に△5四~6三へと中央へ回すのがかつて大山康晴などが得意とした指しまわし。また、△7二飛からの袖飛車の逆襲も有力な手筋。これに対して急戦を仕掛けるのは非常に困難で、後手中飛車に対しての加藤流袖飛車以外は、居飛車穴熊や玉頭位取り戦法などが有力とされている。
なお、5筋を突かないタイプのものは特に創始者山口英夫の愛称にちなみ「英ちゃん流」と呼ばれる。また、殆ど同じ構えだが一段飛車に構えるものを「風車(地下鉄飛車)戦法」といい、伊藤果などが得意としている。風車はツノ銀中飛車から発展してくみ上げる場合もあり、また始めから風車を狙う指し方もある。風車の場合は玉の囲いは仲住まいとなることもある。
[編集] 概要
昔は中飛車と言えばこの戦法であった。しかし、左右に金銀が分かれており、玉の囲いが金銀1枚ずつと薄く、指しこなすのがむずかしい。得意とした棋士は松田茂役が筆頭である。他に大山康晴もこの戦法を大いに得意としており、いつの間にか左の金銀が玉側に寄っていく独特の指し回しで、猛威を振るった。大内延介も得意としている。しかし居飛車穴熊などに対して決定的な対策がなく、勝率が下がった。その後、中飛車と言えば「ツノ銀中飛車」だったため、ツノ銀中飛車の衰退とともに中飛車自体が指されなくなった。
しかし、ゴキゲン中飛車の出現によって、中飛車そのものは復活を果たしたが、ツノ銀中飛車は斜陽戦法と なってしまった(完全に消えたわけではない)。現在でもツノ銀中飛車の風車戦法型を常用する棋士に伊藤果がおり、伊藤は王座戦でこれを用いたときに「加藤一二三の棒銀と同じように、長年同じ戦法を指し続ける珍しい棋士」と東京新聞に書かれている。