テオドール・エードラー・フォン・レルヒ
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テオドール・フォン・レルヒ(Theodor von Lerch, 1869年8月31日 プレスブルク - 1945年12月24日)は、日本で初めて本格的なスキー指導をおこなった、オーストリア=ハンガリー帝国の軍人。日本では一般的には「レルヒ少佐」の名で知られる。
日露戦争でロシア帝国に勝利した日本陸軍の研究のため、1910年11月に交換将校として来日。スキー教師として来日したわけではないが、日本陸軍では八甲田山の雪中行軍で事故をおこしたばかりだったこともあり、日本陸軍はレルヒのスキー技術に注目し、その技術向上を目的として新潟県高田(現在の上越市)にある高田歩兵第58連隊の営庭や、高田の金谷山などで指導をおこなった。レルヒが伝えたスキーは杖を1本だけ使うスキー術であり、現在主流の杖を2本使うスキー術のひとつ、「アールベルグスキー術」は1930年のハンネス・シュナイダーの来日まで待たなければならなかった。
1912年2月には北海道の旭川第七師団へのスキー指導のため旭川市を訪れている。4月15日21時30分、北海道でのスキー訓練の総仕上げとして羊蹄山に登るため倶知安町に到着。16日午前5時に出発の予定であったが、雨のため1日延期。17日に羊蹄山登山を行い、また羊蹄山の滑走も行っている。レルヒの羊蹄登山には小樽新聞・奥谷記者も同行している。
その年の10月ごろに帰国したという。
現在、高田の金谷山には、日本スキー発祥記念館が設置され、レルヒの業績を伝えている。
[編集] 関連項目
- マティアス・ツダルスキー Mathias Zdarsky