デメトリウス・ビケラス
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デメトリウス・ビケラス(Demetrius Vikelas、姓はBikelasとも、1835年2月15日 - 1908年7月20日)はギリシャ出身の経営者で、1894年から1896年まで国際オリンピック委員会(IOC)の初代会長を務めた。
シュロス島のエルムポリで生まれたビケラスは、幼少期はしばしば病床に臥していた。 病弱だったために、彼は飛び飛びにしか教育を受けられなかった。 17才のとき、彼はロンドンにいる叔父のもとで働くために家を出て、最初は簿記係として働き、やがて共同経営者にまでなった。 ロンドンにおいて、彼は駐英ギリシャ大使の息子だったハリラオス・トリクピス(後のギリシャ首相)の友人ともなった。
ピエール・ド・クーベルタンが1894年にパリで国際会議を催し、ここで近代オリンピック運動が創設されたのだが、このときビケラスはパン=ヘレニック・ジムナスティック・クラブの代表者として出席していた。
元々、1900年にパリで近代オリンピック最初の式典を開催するというのがクーベルタンの考えであったが、ビケラスはクーベルタンと新設されたIOCに対して、最初の式典はアテネで開催するべきだと説得した。 当時のIOC憲章では、会長は次回開催地のある国の人物から選ばれなければならなかったため、ビケラスは初代のIOC会長となった。
1896年に初めて開催された夏季オリンピックは成功に終わったが、その後ビケラスはIOCを退会し、別の分野へと興味を変えた。 彼は73歳のとき、アテネで死去した。
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