ドミニコ会
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ドミニコ会は1206年に聖ドミニコ(ドミニクス・デ・グスマン)により立てられ1216年にローマ教皇ホノリウス3世によって認可されたカトリックの修道会。正式名称を説教者修道会という。略号は OFP である。
清貧を重んじ、初期は托鉢によってのみ生活したため「乞食修道会」「托鉢修道会」の異名を持つ。 アルビジョア十字軍における異端審問で知られ、反対派から domini canis の綽名を付けられた。
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[編集] 日本での活動
1587年の禁教令の後も、ドミニコ会は日本に留まっていた。1602年、薩摩の島津家久の招きで、薩摩の甑島から薩摩本土に赴いたが冷遇され、1603年に甑島に戻った。4人のドミニコ会士は今の薩摩川内市下甑町に聖堂を構え、甑島と川内の京泊で宣教した。1606年には、京泊に「ロザリオの聖母聖堂」を建立。しかし1609年に迫害が強くなり、聖堂は解体。宣教師は長崎に追放され、旧キリシタン時代におけるドミニコ会の宣教が一旦終わった。1622年、長崎立山での殉教がマニラの修道院に伝えられ、1623年ドミニコ会のエルキシアら10人はマニラを出発、1名が航海途中で殉死し、ドミニコ会3名をふくむ9名が薩摩の坊津についた。彼等はひそかに薩摩に留まり宣教したが、1634年までに全員とらえられ殺された。トメ六左エ門、ディエゴ五郎兵衛ほか、1630年代には多くのドミニコ会士が殉教した。
現在は高松教区を司牧するほか、各地に修道会をかまえ、宣教に勤めている。
[編集] 著名なドミニコ会士
- オパヴァのマルティン
- アルベルトゥス・マグヌス
- トマス・アクィナス
- マイスター・エックハルト
- ジロラモ・サヴォナローラ
- トマソ・カンパネッラ
- フラ・アンジェリコ
- ラス・カサス
- シエナのカタリナ
- トマス西と15殉教者
- グスタボ・グティエレス
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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