ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト
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ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ジャン・ジョゼフ・ボナパルト(Napoléon Eugène Louis Jean Joseph Bonaparte, 1856年3月17日 - 1879年6月9日・別名ナポレオン4世)はフランス第二帝政時代の皇太子。1870年9月2日から9月4日の2日間、父ナポレオン3世に代わり政務を執った(皇太子の親政)。
ナポレオン・ウジェーヌ・ルイは1856年3月17日パリで生まれた。寡黙な人柄であったという。皇后ウジェニーが2度の流産の後、やっと授かった跡取り息子であったので、ナポレオン3世は彼を溺愛したという。普仏戦争初期、フランス軍が各地で劣勢となり、父ナポレオン3世は捕虜となった。その1870年9月2日から9月4日まで、ナポレオン3世は拘束状態であった。そのため、2日間だけ皇太子は表面上政務を取り仕切った。しかし9月4日、パリの民衆たちの暴動のため、彼は1870年9月6日にイギリスへ亡命した。彼のフランスの統治期間はわずか2日間であった。
イギリスではウールウィッチ砲兵学校に入学し、好成績で卒業した。ヴィクトリア女王にルルと愛称で呼ばれて寵愛され、末娘ベアトリス王女との縁談も持ち上がるほどであった。イギリスへの恩返しとして1878年に勃発したズール戦争に従軍、1879年6月9日にアフリカでズールー族の襲撃を受けて戦死した。ボナパルト一族中、唯一の嫡流であったため、ボナパルティストたちはこれを聞いて悲嘆に暮れたという。子はなく、ナポレオン3世の直系は絶えている。
[編集] 天文
1998年、母ウジェニーにちなんで命名された(45)ウジェニアに衛星が発見され、2003年に彼の愛称にちなんでプティ・プランス ((45) Eugenia I Petit-Prince) と命名された。