ニコライ・ダビデンコ
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ニコライ・ダビデンコ |
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基本情報 |
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英語名 | Nikolay Davydenko |
フルネーム | Nikolay Vladimirovich Davydenko |
国籍 | ![]() |
出身地 | ウクライナ・セベロドネツク |
居住地 | ロシア・ヴォルゴグラード |
生年月日 | 1981年6月2日 |
身長 | 177cm |
体重 | 70kg |
利き手 | 右 |
バックハンド | 両手打ち |
ツアー経歴 |
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デビュー年 | 1999年 |
ツアー通算 | 11勝 |
シングルス | 10勝 |
ダブルス | 1勝 |
4大大会最高成績 |
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全豪 | ベスト8(2005-07) |
全仏 | ベスト4(2005) |
全英 | 2回戦(2005) |
全米 | ベスト4(2006) |
キャリア自己最高ランキング |
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シングルス | 3位 |
ダブルス | 31位 |
Template |
ニコライ・ダビデンコ(Nikolay Davydenko, Николай Владимирович Давыденко, 1981年6月2日 - )は、ロシアの男子プロテニス選手。赤土のクレーコートを最も得意としている。シングルス自己最高ランキングは3位(2006年11月)。これまでにATPツアーでシングルス10勝、ダブルス1勝を挙げている。身長177cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
体格的にそれほど恵まれているわけでもなく、プレースタイルにも派手さはないが、的確で安定感のあるストロークと紳士的なマナーには定評がある。
ダビデンコはウクライナのセベロドネツクに生まれ、7歳から兄と一緒にテニスを始めた。15歳の時に家族でドイツへ引っ越し、18歳の時にロシア国籍を取得した。彼の両親はロシアに在住している。1999年にプロ入り。2001年の全豪オープンで4大大会にデビューし、2回戦でパトリック・ラフターに挑戦した。2003年から世界的な躍進を始め、年頭のオーストラリア・アデレードの大会でツアー初優勝を果たす。この年から、ダビデンコは男子テニス国別対抗戦・デビスカップのロシア代表選手になる。4月にポルトガル・エストリルの大会でも優勝し、この年に初めて世界ランキングトップ50位以内に入った。2004年も年間2勝を挙げ、同年のアテネ五輪にもロシア代表として出場したが、シングルス1回戦でスイスのロジャー・フェデラーに敗れた。
2005年にニコライ・ダビデンコは世界のトップ選手へと躍進し、全豪オープンで初めて準々決勝に進出した(アンディ・ロディックに敗退)。そして全仏オープンで、ダビデンコは準決勝に駒を進めたが、アルゼンチンのマリアノ・プエルタに 3-6, 7-5, 6-2, 4-6, 4-6 のフルセットで敗れ、決勝進出を逃した。同年末に、世界ランキング8位以内の選手しか出場できない男子テニス年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」にも初めて出場資格を獲得し、アルゼンチンのダビド・ナルバンディアンとの準決勝まで勝ち進んだ。これでダビデンコは名実ともに、ロシア男子テニス界の第一人者となった。
2006年は全米オープンで自身2度目のベスト4入りを果たしたが、準決勝で第1シードのロジャー・フェデラーに 1-6, 5-7, 4-6 のストレートで敗れている。この年は男子テニスツアーで自己最高の年間5勝を挙げ、世界ランキングでも自己最高位の3位まで躍進した。
ダビデンコはデビスカップのロシア代表選手として、2006年にロシア・チームの4年ぶり2度目の優勝に貢献した。12月1日-3日にロシアの首都・モスクワにある「オリンピック・スタジアム」でアルゼンチンとの決勝戦が行われた時、ダビデンコはシングルス2試合に出場し、第1試合でフアン・イグナシオ・チェラに勝ったが、第4試合ではダビド・ナルバンディアンに敗れ、この決勝戦では1勝1敗の成績を残した。デ杯終了後に結婚。
ロシアの男子テニス界は、長い間エフゲニー・カフェルニコフとマラト・サフィンの2強豪がリードしてきたが、カフェルニコフが2004年に現役引退したことでいくらか選手層が薄くなり、現在では女子ほどのきらびやかさは見られない。その中で着実に世界ランキングトップ選手へと成長してきたダビデンコに、今後のさらなる活躍が期待されている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ニコライ・ダビデンコ - ATPツアーのプロフィール(英語)
- デビスカップ成績表