ニューギニア島
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ニューギニア島(英語:New Guinea、インドネシア語:Nugini)は、太平洋南部に位置し、オーストラリアとトレス海峡を隔てた北側にある島。面積は約77万km²であり、世界でグリーンランドに次ぐ大きさで、西部をインドネシア、東部をパプアニューギニアが領有する。
ニューギニアとは、この地に訪れたイギリス人が、熱帯気候や黒い人々を見てアフリカのギニアに似ていると思ったことから名づけた。パプア島(現地語: Papua, 縮れているという意味)、イリアン島(インドネシア語: Irian, 日の出の方角のこと、つまり東)、などともいう。
[編集] 歴史
最初の人類は、氷河期の頃にスンダランドから移住してきた人々であると考えられ、オーストラリアのアボリジニに近い系統であるオーストラロイドとされる。
大航海時代にオランダ人やポルトガル人が来訪、熱帯雨林と湿地帯がほとんどを占めるこの島は活用方法が無く、ほとんど手付かずであった。やがて、植民地主義の到来で獲得競争はこの島にも訪れ、西半分をオランダ、東はオーウェン・スタンレー山脈とビスマルク山脈で南北に分け、北をドイツ領、南をイギリス領に3分割した。後に、イギリス植民地は1901年に独立したオーストラリア(英連邦)のニューギニア植民地となる。
第一次世界大戦後は国際連盟によってドイツ植民地をオーストラリアの委任統治領としたが、太平洋航海の中継点として利用するほかは使い道が無かった。このころまで、険しい山中には人が住んでいないと思われていたほどである。
第二次世界大戦の開戦によって島の北半分が日本によって占領される。ニューギニア南部の拠点(ポートモレスビー)確保のために、北部沿岸に飛行場の建設など東部ニューギニアで戦いが行われ、日本軍とオーストラリア軍が戦闘を繰り広げた。アメリカ合衆国軍がオーストラリアを拠点に空輸作戦や上陸作戦を実施し、北部沿岸一帯での激戦の末に日本が敗退すると、各国が植民地経営を再開した。
オランダ領の西ニューギニアは、1949年にオランダがインドネシアの独立を認めたのち、1961年に西パプア共和国として独立を認めた。しかし、インドネシアが侵攻したため、国連による暫定統治を経て、インドネシアへ併合されてイリアンジャヤ州(「偉大な東」という意味)となった。2002年、パプア州に改称された。
北東のオーストラリア委任統治領(旧ドイツ領)は、国際連合の信託統治領として引き続きオーストラリアが支配した。1975年に、南東のオーストラリア領パプア準州(旧イギリス領)とともに英連邦の一員として独立を認められ、パプアニューギニア独立国が成立した。
[編集] 関連項目
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