ノサモ
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ノサモ | |
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各種表記 | |
ハングル: | 노사모 |
漢字: | 盧사모 / 盧思慕(後者は当て字) |
平仮名: (日本語読み仮名): |
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片仮名: (現地語読み仮名): |
ノサモ |
ラテン文字転写: | {{{latin}}} |
英語: | Nosamo |
「ノサモ」とは盧武鉉を支持する勝手連的なインターネットを中心に組織した集団「ノムヒョヌル・サランハヌン・モイム(朝鮮語:노무현을 사랑하는 모임)」(盧武鉉を愛する会)の頭文字を取った略称。大統領候補ですらなかった2000年に、地域対立解消を掲げながらも国会議員選挙で落選を喫した盧武鉉に共感した支持者によって結成された。これは韓国の政治家として初めてのインターネット上のファンクラブであった。後に、大統領候補の党内予備選でも苦戦を強いられていた盧武鉉がじわじわ支持を拡大するにつれ、ノサモも注目を集めた。
2002年の第16代大統領選挙ではこのノサモによる活動が大きく影響したといわれる。立候補表明していた鄭夢準との候補一本化は世論調査を通じて行われたが、僅差で競り合う鄭夢準との差を決定付けたのはノサモによる市民への呼びかけであったとする分析もある。また投票日前日に鄭夢準は盧武鉉への支持を撤回したが、そのダメージを撥ね退けたのも、やはりノサモの投票呼びかけであったといわれる。
このようにインターネット時代の新しい形の選挙活動として注目されたが、半透明プラスチック製の豚型貯金箱を市民から募るカンパが選挙違反にも問われたこともある。
インターネットを使う386世代と呼ばれる「30代 の80年代大学卒業 60年代生まれ」、及びさらに若い層が構成員の中心であり、対立する陣営から盧武鉉の紅衛兵と手厳しく批判された。ハンギョレやオーマイニュース等の新興の進歩的マスコミを支持する一方、朝鮮日報等、盧武鉉と対立する保守系の老舗マスコミに対する不買運動等も展開しており、特に反朝鮮日報運動は構成員の一人が朝鮮日報の印刷工場に放火する事態に及んだ。
ただし、ウェブを用いた支持獲得法自体は対立陣営からも注目を集め、第16代大統領選挙では対立候補の李会昌陣営も「チャンサラン」という同様のコンセプトのウェブサイトを開設した。この流れは後にハンナラ党党首となった朴槿恵の支持団体、「サランヘ」に受け継がれている。
ところが盧武鉉政権の支持率が下がるとかつての勢いは衰えるようになり、2006年5月20日に対立する朴槿恵が襲撃された事件を受け、ノサモの代表・盧惠京が「60針も縫ったのは、ついでに整形手術もしたからだ」と発言して世論から大批判を浴びてしまった。その後の統一地方選で与党・ウリ党は大惨敗を喫する。こうした事が重なって、今やノサモを脱会する会員が後を絶たない状況になっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ノサモ(朝鮮語)