ハワード・エイケン
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ハワード・エイケン (Howard Hathaway Aiken, 1900年 3月9日~1973年 3月14日) は、情報工学における先駆者。 IBMの、Harvard Mark I コンピュータの主任エンジニアである。
ニュージャージー州のホボケン出身。ウィスコンシン大学を卒業し、後に (1939年)、ハーバード大学から物理学のPh.D.を授与された。このとき、彼は数値的にしか解を求められない微分方程式に遭遇した。彼は、そのような退屈な作業の大部分をしてくれる電気機械式計算機械を夢想した。このコンピュータは本来 Automatic Sequence Controlled Calculator(ASCC、自動逐次制御計算機)と呼ばれていたが、後に Harvard Mark Iと改名された。グレース・ホッパーの助けとIBMの資金援助を得て、1944年にマシンが完成した。1947年にはHarvard Mark IIが完成した。エイケンはさらにMark IIIとHarvard Mark IVを製作している。Mark III は一部に電子部品を使い、Mark IV では完全電子化されていた。Mark III と Mark IV は磁気ドラムメモリを使用し、Mark IV では磁気コアメモリも使っている。
当初、エイケンがデジタル計算機の製作を大学に提案したとき、大学側は特に動こうとしなかった。その話が周囲に伝わると、ある者が大学に既にそういう機械があると言い出した。そして、エイケンはチャールズ・バベッジの階差機関の一部と出会った。実は、バベッジの息子が階差機関を復元したとき、一部分をハーバード大学に寄贈していたのである。エイケンはそれまで階差機関のことを知らなかった。図書館でバベッジの自伝を見つけたエイケンは、次のような一節を読んで感銘を受けたという。
- もしも、私の例に怖じけることなく、このような数学的解析機能のすべてを内蔵する真のエンジンの開発を引き継ぎ、完成させようと志す者が現われるなら、(中略)私は私の名声を彼の手にゆだねることに何の躊躇もない。なぜなら彼のみが、私が行ってきた努力とその成果を完全に理解し評価できる人間であるからだ。(Passages from the Life of a Philosopher、チャールズ・バベッジ、1864年)
彼は 1947年に次のように言ったといわれている。「6台のデジタル式計算機があれば、合衆国全体の計算ニーズを満たすことができる。」この言葉はトーマス・J・ワトソン(IBMの創業時の社長)のものとされることもあるが、二人ともこのような発言はしていないと思われる。また、「バグ」という言葉は、グレース・ホッパーが Mark I のリレーに挟まってしまった蛾を見つけたことが語源とされているが、これも真実ではない。
1970年、エイケンは、大規模デジタルコンピュータの開発と応用に対する先駆的な貢献と、デジタルコンピュータの教育に関する重要な貢献に対して、IEEEのエジソンメダルを与えられた。
ハワード・エイケンは、米国海軍予備軍の将校でもあった。
[編集] 参考文献
- 『コンピューター200年史 -情報マシーン開発物語-』M・キャンベル=ケリー他(著)、山本菊男(訳)、海文堂(1999年)、ISBN 4-303-71430-5
[編集] 外部リンク
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