ハーネルMP28短機関銃
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正式名称 | ハーネルMP28短機関銃 |
全長 | 813mm |
銃身長 | 200mm |
重量 | 4.0㎏ |
口径 | 9mm×19 |
装弾数 | 20/32/50発 |
発射速度 | 約500~600発/分 |
製造国 | ドイツ |
製造 | ハーネル社 |
ハーネルMP28短機関銃は、1917年にドイツで開発された短機関銃である。
[編集] 開発経緯
ベルグマンMP18短機関銃は当時ベルグマン社の支配人であったセオドール・ベルグマンを中心とした開発チームにより小型軽量の機関銃を研究し1917年に開発された短機関銃で、翌年にはドイツ陸軍に正式採用されている。そして第一次世界大戦中には、世界で短機関銃としてはじめて実戦投入されたMP18は、主に狭い塹壕戦で活躍したとされる。しかし当の戦争で帝政ドイツ軍は敗北しその後敗戦。十分な戦果を挙げたにもかかわらず、MP18は戦後ドイツ軍からは冷遇されその全てが警察用短機関銃として払い下げられてしまう。そしてベルグマン社自体も大戦後は短機関銃の開発に消極的になったことから、開発チームの一人で短機関銃の開発に積極的であったヒューゴ・シュマイザーは父ルイス・シュマイザーの引退とともにベルグマン社を去り、新たに移籍したハーネル社で翌年から引き続き短機関銃の開発を続けることとなった。その後ドイツ警察内で新たにMP18短機関銃にかわる短機関銃の導入の話が上がるとシュマイザーは新たに短機関銃の研究を開始した。
[編集] ハーネルMP28短機関銃の登場
新型短機関銃の開発はヒューゴ・シュマイザーを中心に行われ、ベルグマンMP18短機関銃を改良設計を行いハーネルMP28短機関銃として設計開発された。MP18からの主な改良点は弾倉(マガジン)の変更で、それまでスネイル型弾倉から箱型の複列弾倉に変更し機関部横に大型の給弾口が設けられ、横から弾倉を装填する方法を取った。銃床は木製で変更は無く、またMP18はフルオート射撃しか出来なかったのに対し、セミ・フルオート射撃用のセレクター機構が装着されている。製造は1934年から主にハーネル社で生産され、ドイツ警察に対し大量に納入している。その後MP28はその後政権を取得したナチス・ドイツの武装親衛隊での式短機関銃となった。
[編集] その後
武装親衛隊の正式短機関銃となったMP28はその他にも外国に大量に輸出されている。また1936年にスペインにて起こった内戦(スペイン内戦)では、MP28はナチスドイツが派遣した義勇軍「コンドル軍団」により初めて実戦投入される。連射速度が速くて取り回しやすいMP28短機関銃は主に市街戦で活躍し、その有効性を大いに示した。短機関銃の有効性を確信したナチスドイツは内戦翌年からは新たにMP28に変わる短機関銃の開発を計画し、1938年にMP38を開発、量産を行っている。さらに改良型であるエルマ・ベルケMP40短機関銃が大量生産されるようになると前線の武装親衛隊の装備からMP28は外され、警察や占領地の治安維持部隊など後方部隊に回された。また第二次世界大戦中1945年のベルリンの戦いでは国民突撃隊がMP18・28を使用しソ連軍と激しく交戦している。
なお海外に輸出が行われたMP28は世界各国で影響をあたえ、日本ではMP18短機関銃とともに少数輸入された物が海軍陸戦隊に配備され、またMP18・28共に日本での短機関銃開発の研究参考にされた後に1939年には一〇〇式機関短銃を大戦後期に開発している。イギリスではスターリング・アーマメント社からMP28のコピーであるランチェスターMk I短機関銃が生産され、1941年にイギリス海軍と空軍、両方で採用している。他にもソ連では第二次世界大戦前、MP18/Iを参考に改良、ドラム式弾倉(こちらはフィンランド軍のスオミ短機関銃の物をコピー)を装着させたPPD-34短機関銃を開発している。