パワードコム
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株式会社パワードコム(POWEREDCOM, Inc.)は、かつて存在した日本の大手電気通信事業者である。東京電力グループに属していた。
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[編集] 概要
[編集] TTNet時代
前身は1986年設立の東京通信ネットワーク株式会社(Tokyo Telecommunication Network Co., Inc. 通称: TTNet)。設立当初は東京電力・三井物産・三菱商事・日産自動車の4社が大株主だった。その後日産自動車が経営危機に陥ったため、1999年に住友商事が日産自動車の保有する株式を買い取り大株主となった。
設立当初は企業向けの専用線サービスや東京電力の関連会社向けの直収電話サービスを手がけていたが、1998年に「市内3分9円」が売り文句の中継電話サービス『東京電話』を開始し本格的に一般家庭向けのサービスに進出。その後インターネットサービスプロバイダとして『東京電話インターネット』を展開するなど業容を拡大した。またこの頃、当時のKDDとの合併が水面下で検討されており、実際に合併を前提としてKDDから数十人規模の社員がTTNetに出向したこともあったが、結局KDDはDDIと合併することとなったためにこの合併話は立ち消えとなった(出向した社員の大半はそのままTTNetに転籍した)。1999年には、主要株主が共通で、当時経営不振に陥っていたPHS事業者のアステル東京を吸収合併した(事実上の救済合併)。
なお、「東京電話株式会社」という会社が東京都内に実在するが、一切関係ない。『東京電話』サービス開始前後には同社への間違い電話が多発。そのため、当時のTTNetは広告で再三にわたって注意を呼びかけていた。また、「株式会社東京電話サービスセンター」も無関係。
[編集] パワードコム誕生
TTNetには、電力会社の子会社という関係からサービス提供エリアが関東地方と静岡県東部に限られるといった制約があり、特に企業向けサービスの提供において他社との競争上見劣りするという問題が存在した。ただこれは同社に限らず電力系通信事業者に共通する悩みであったことから、将来的に全国の電力系通信事業者を1社に統合し、NTTや日本テレコム・KDDI等と対抗できる勢力となることをもくろみ、1999年に電力会社の共同出資で株式会社PNJコミュニケーションズが設立された。
2001年には統合の第一段階として、同社がTTNet・中部テレコミュニケーション(CTC)・大阪メディアポート(OMP)の3社から法人向けデータ通信部門の営業譲渡を受け、同時に社名を株式会社パワードコムと変更した(これによりTTNetは個人向けサービス全般および法人向け電話サービスを受け持つ会社となった)。当初の計画ではこれ以外の電力系通信事業者からも順次営業譲渡を受け、パワードコムは法人向け専門に全国をカバーする電気通信事業者となる予定だった。
[編集] 経営統合、再建を目指す
しかし電気通信市場の競争激化、技術革新は急速に進み、「パワードコムがフロントを受け持ち電力系地域会社がインフラを受け持つ」という分業体制を維持するよりも、「首都圏をエリアにもつTTNetがまずパワードコムと一体となって支えるべき」という考えのもと、2003年4月にパワードコムとTTNetが合併した(当時企業向けデータ通信市場における値引き合戦が激化していたため、パワードコムが早期に黒字転換する見込みがなかったことから、TTNetの個人向けサービスから生まれる黒字で赤字を穴埋めする必要があったと指摘する関係者もいる)。このとき、CTCとOMPも一緒に合併するという構想もあったが日の目を見なかった。TTNetはパワードコムと合併するための条件整備の一環として、2002年8月に、不振のPHS事業を鷹山(現・YOZAN)に売却した。
こうして誕生した新生パワードコムは、「法人データ通信サービス」「電話サービス」「インターネット接続サービス」をそれぞれが独立採算をとって経営できるよう、2004年7月から、「法人向けサービス」はパワードコム本体が、「電話サービス」は買収したフュージョン・コミュニケーションズが、「インターネット接続サービス」は同じく買収したドリーム・トレイン・インターネットが行うこととした。
さらに、抜本的な財務改革として、「固定資産の減損処理」「減資による累損一掃」「東京電力を中心とする電力10社による増資」を2004年9月に実施した。
こうした構造改革に先立ち、2004年4月に、日本IBM出身でSAPジャパン、i2テクノロジーズで社長を歴任した中根滋を初めて外部から社長として迎え入れ経営陣の刷新を行い、経営再建を目指すこととなった。
[編集] 経営再建後、KDDIに吸収
新社長を迎えたパワードコムは、2004年度下期単体決算で経常利益55億円(売上高利益率10%)と劇的なV字回復を果たし、続く2005年度上期単体決算でも経常利益40億円(売上高利益率8%)と好調を持続させた。連結最終損益も2005年度上期に黒字転換を果たしている。
2003年度上期・下期、2004年度上期と連続して赤字続きだったパワードコムが劇的に黒字転換したのは、減損・減資・増資という抜本的な財務改革を東京電力を中心とする株主が支えたことに加え、刷新された経営陣の経営手腕によるものでもある。[要出典]
こうして経営再建を果たしたパワードコムであったが、皮肉にも再建が契機となって、東京電力が通信事業からの撤退を視野にKDDIと協議を開始し、2006年1月1日、KDDIに吸収合併され、KDDI法人向けサービスに統合された。
[編集] 沿革
[編集] 旧TTNet
- 1986年3月7日 - 東京通信ネットワーク株式会社(TTNet)設立
- 1986年11月1日 - 専用線サービス開始
- 1998年1月7日 - 「東京電話」サービス開始
- 1999年4月1日 - 株式会社アステル東京と合併
- 2000年5月20日 - PHSサービスの名称を「東京電話アステル」に改称
- 2000年6月26日 - データセンター子会社として、東京電力らと共同で株式会社アット東京を設立
- 2001年10月1日 - 企業向けデータ通信部門をパワードコムに継承
- 2002年7月25日 - 三菱電機よりドリーム・トレイン・インターネット(DTI)株式の30%を取得
- 2002年8月1日 - PHS事業(東京電話アステル)を株式会社鷹山(現・株式会社YOZAN)へ譲渡
- 2003年2月4日 - ドリーム・トレイン・インターネット株を公開買付により追加取得、株式の75.96%を取得し子会社化
[編集] パワードコム
- 1996年10月1日 - TTNet、中部テレコミュニケーション(CTC)、大阪メディアポート(OMP、現・ケイ・オプティコム)の3社による「地域連係専用サービス」を開始
- 1997年4月1日 - 「地域連係専用サービス」のエリアが沖縄を除く全国に拡大(1998年5月に沖縄にも拡大)
- 1998年1月16日 - 「地域連係サービス」の販売会社として株式会社パワーネッツ設立
- 1999年11月11日 - 株式会社PNJコミュニケーションズ設立
- 2001年4月20日 - PNJコミュニケーションズ、パワーネッツを子会社化
- 2001年10月1日 - PNJコミュニケーションズがTTNet、CTC、OMPの企業向けデータ通信部門を継承、同時に株式会社パワードコムへ社名変更
- 2003年4月1日 - TTNetを存続会社としてパワードコムを吸収合併、同時にTTNetがパワードコムへ社名変更
- 2003年11月1日 - フュージョン・コミュニケーションズに出資
- 2004年7月1日 - ドリーム・トレイン・インターネットおよびフュージョン・コミュニケーションズと事業統合。「Powered Internet」事業をDTIへ、「東京電話」事業をフュージョンへ譲渡
- 2004年8月25日 - 大京の持つファミリーネット・ジャパン株式をテプコシステムズと共同で取得、同社を子会社化
- 2005年10月13日 - KDDIとの経営統合を発表。DTI、フュージョン等子会社については東京電力または第三者へ売却し、KDDIへの統合は行わない。
- 2005年11月8日 - 子会社については東京電力が買い取ることが決定。東京電力により引き続き譲渡先を検討する予定。
- 2005年12月31日 - ドリーム・トレイン・インターネット、フュージョン・コミュニケーションズおよびファミリーネット・ジャパン、アット東京株式を東京電力に譲渡。
- 2006年1月1日 - KDDIを存続会社として被合併、解散。
[編集] 他の通信事業との関係
TTNetおよびパワードコムは、一般に「東京電力グループの通信事業における中核会社」と見られていたが、実際は以下のようにTTNetおよびパワードコムとの関係が希薄なものも多く、その位置づけは微妙であった。
- アステル東京は設立当初PHS基地局と交換局との間を結ぶ回線にNTTのISDN回線を利用する「NTT依存型」の網構成を取っており、TTNetとの関係はさほど濃くなかった。これはアステル東京の大株主の1社に日本テレコムがいたため、TTNetとの関係を濃くすると日本テレコムとの関係が悪化しかねないことを危惧したことが背景にあったといわれている。そのためTTNetとの合併後は独自網への移行が進められた。
- スピードネット設立に至る過程ではTTNet関係者は一切抜きで交渉が進められたため、当時のTTNet首脳は記者発表当日朝の新聞報道を見て初めて同プロジェクトの存在を知ったと言われている。またその後も通信網構築の過程で、TTNetの設備が利用できる局面でもスピードネットが独自に設備構築を行い、結果として設備が重複するケースが見られた。
- TEPCOひかりは、東京電力グループ内での事業分担を考えれば本来パワードコムが提供すべきサービスであったが、実際には東京電力が直接サービスを提供していた。ただしこれについては「TEPCOひかりの提供にあたって必要になる莫大な設備投資を東京電力本体が負担する」目的があったとも言われており、一概にパワードコムを無視したわけではない。
- 2002年には、当時経営難に陥っていたインターネットイニシアティブ(IIJ)グループと東京電力との間で業務提携に関する話し合いが行われていたが(結局交渉は決裂している)、上記のように当時のTTNetはISP事業においてDTIとの提携(後に子会社化)を実施しており、東京電力とTTNetの間で思惑が異なる状況が見られた。