パンツァーシュレック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Panzerschreck(パンツァーシュレック / パンツァーシュレッケ )は、 第二次世界大戦中にドイツ軍によって使用された対戦車ロケット弾発射器、 Raketenpanzerbüchse(RPzB / ラケーテンパンツァービュクセ / ロケット式対戦車銃)の通称である。 他の通称にOfenrohr(オーフェンローア / ストーブの煙突)がある。
パンツァーシュレックはチュニジアの戦いで捕獲したアメリカ軍のM1バズーカを元に、自軍の8.8cmロケット弾を使えるように拡大改良したもので、開発時期はパンツァーファウストより僅かに後の1943年初頭とされている。最初の量産型であるRPzB 43はロケットの燃えカス(射出後、2m飛行したところまで推進剤が燃焼し続ける)が射手に吹き付ける欠点がありガスマスクと手袋の着用が必要であった。1943年後半に改良型として、照準用の雲母製透明小窓の付いたシールドが装着されたRPzB 54が開発された。この追加されたシールド部分は、全軍で不足気味な貴重なアルミ合金を使うわけにもいかず鉄製だった。そのため、戦場ではこの重い鉄製のシールドを取り外して相変わらずマスクを着用し続ける者もいた。1944年には全長を約30cm短くして軽量化したRPzB 54/1が登場、以上三種類・合計289151器が生産され配備された。使用するロケット弾は、気温により推進剤の燃焼速度が変るため夏用と冬用があり、これにあわせて調整できる照星も用意された。ロケット弾の速度は105m/sに達し、実用有効射程はいずれも150~180mであった。 M1バズーカの口径が2.36-inch(60mm)で装甲貫徹力が100mmであるのに対し、パンツァーシュレックは口径88mmで装甲貫徹力が命中角90度で230mm、60度で160mmであり、当時のほぼ全ての戦車の正面装甲を貫徹する威力を誇っていた。
なお、同じ名前を付けられ、大戦末期に試作された口径10.5cmの携帯型対戦車兵器があるが、こちらはパンツァートートと呼ばれる無反動砲で全くの別物であり、パンツァーシュレックの改良型と勘違いされることが多い。
[編集] 自走砲化
パンツァーシュレックは捕獲した英軍のユニバーサル・キャリア(ブレンガンキャリアー)に三連装で搭載し「パンツァーイェーガー・ブレン731(e)」と命名され、東部戦線に投入された。同様にsd.kfz.251兵員輸送車やキューベルワーゲンに三連装で搭載した例もあったという。大戦末期には小型爆薬運搬車であるボルクヴァルトBIVcに六連装で搭載した簡易対戦車自走砲も作られ、ベルリン攻防戦に参加している。