ヒカルド・アローナ
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ヒカルド・アローナ・アルメイダ | |
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基本情報 | |
本名 | ヒカルド・ホセ・アローナ・デ・アルメイダ |
あだ名 | ザ・ブラジリアン・タイガー ブラジリアン・ボルケーノ 柔術王子 |
階級 | PRIDEミドル級(-93kg級) |
国籍 | ブラジル |
誕生日 | 1978年7月17日 |
出身地 | ブラジル リオデジャネイロ州ニテロイ |
現居住地 | ブラジル |
スタイル | ブラジリアン柔術 |
戦績 | |
総試合数 | 18(リングス、PRIDE) 07/4/9現在 |
総勝利数 | 13 |
KO勝ち | 2 |
一本勝ち | 3 |
判定勝ち | 8 |
総敗北数 | 5 |
KO負け | 3 |
一本負け | 0 |
判定負け | 2 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
ヒカルド・アローナ(Ricardo Arona、1978年7月17日 - )は、ブラジルリオ・デ・ジャネイロ州ニテロイ出身の総合格闘家。ブラジリアン・トップチーム所属。身長180cm、体重92.9kg。フルネームはヒカルド・ホセ・アローナ・デ・アルメイダ(Ricardo Jose Arona de Almeida)。
目次 |
[編集] 来歴
アブダビコンバット99kg以下級連覇、無差別級優勝の肩書をもつ天才柔術家。ブラジリアン柔術を基本のスタイルとするが、空手と柔道の経験も持ち、「弾丸タックル」との異名を持つ高速タックルと、アブダビコンバットで2連覇をもたらしたサブミッションを武器とする。寝技出身ながらスタンド打撃にも非凡なものを持っている。
また、虎好きであることでも有名であり、虎に対して畏敬の念をもち、自身の右半身に精巧で美しい虎のタトゥーを彫りこんでいる。インタビューで「自分の身体には虎が宿っている」「虎の心理に近づきたい」と語っており、「ザ・ブラジリアン・タイガー」の異名を持つ。また、端正なルックスから「柔術王子」とのあだ名がある。
筋骨隆々で均整の取れた体格をしているが、ウェイトトレーニングは一切行っていない。
1983年、当時5歳の時から空手を始め、1年で緑帯を獲得する。13歳の時、アラルアマへ引っ越すと共に空手を辞めるが、アラルアマの自然の中でトレーニングを行い、さらに柔道の道場に入門する。その後再び戻ったニテロイで柔術対ルタ・リーブリの試合を観戦したことにより柔術家を志すようになる。1997年にカーウソン・グレイシー・アカデミーに入門。その後ブラジルの紫帯、茶帯の世界王者となりカーウソン・チームの代表として注目され始める。
2000年、アブダビコンバット(以下ADCCと表記)のトライアルに出場。アマウリ・ビデッチを倒しトライアルを優勝、続くADCCブラジル予選でも優勝し、ADCC2000本戦の出場権を手にする。さらにその本戦でティト・オーティズやジェフ・モンソンといったグラップリングの実力派を次々と撃破し、ADCC2000の99kg以下級で見事優勝。同大会のMVPに輝き、天才児として一躍有名になる。そして翌年のADCC2001では99kg以下級で再び優勝、2連覇を達成。更に無差別級をも制した。
ADCCでの快進撃によって、日本の総合格闘技イベントリングスからオファーをうけ、2000年4月20日にリングス初参戦。あのエメリヤーエンコ・ヒョードルとも対戦、延長の末に判定負けを喫したものの、互角以上に渡り合っている。2001年のリングスミドル級トーナメントでは優勝し、リングスミドル級王者となる。
現在は日本の総合格闘技イベントPRIDEに参戦。2001年9月24日のPRIDE.16にて初参戦しガイ・メッツァーを判定で破ると、続くPRIDE.20ではダン・ヘンダーソンに、PRIDE.23ではムリーロ・ニンジャに勝利し、その実力を知らしめた。
その功績もあって『PRIDE ミドル級GP 2003』の出場が決定、ヴァンダレイ・シウバ、クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと並ぶ優勝候補といわれるも、試合前の負傷により欠場を余儀なくされる。その後彼の代役として出場したムリーロ・ブスタマンチを倒したジャクソンと『PRIDE GP 2004 2nd ROUND』で激突するも、パワーボムで叩きつけられた際の不運なアクシデント(バッティング)によりKO負けを喫してしまう。
このようにPRIDEのリングではなかなか運に恵まれず、本来の力を出せずにいたが、2005年4月23日の『PRIDE GRANDPRIX 2005 開幕戦』にてディーン・リスターに完勝すると、『PRIDE GRANDPRIX 2005 2ndROUND』では桜庭和志にグラウンドで顔面に20発以上の膝蹴りを見舞い、圧勝する。この戦いで桜庭の顔面が変形し、血まみれになるなど衝撃的な敗北を喫したことにより、アローナはヒールなキャラクターとして一躍有名になる。
『PRIDE GRANDPRIX 2005 決勝戦』の準決勝では『PRIDEミドル級絶対王者』の異名をとり、自身にも因縁のあったヴァンダレイ・シウバにほとんど何もさせず完勝。PRIDEミドル級の選手として初めてシウバに黒星をつけた。試合前ヒクソン・グレイシーがGPの優勝候補にあげたこともあってか、このまま優勝をつかむのでは、と期待されたが、決勝でシウバの弟分であるマウリシオ・ショーグンにKO負けし、王者の夢は打ち砕かれた。
その後、『PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-』で『PRIDEミドル級タイトル』をかけてヴァンダレイ・シウバと再戦するが、微妙な判定で敗れる。アローナはこの判定結果に対して不満を口にし、その後、PRIDEのリングからしばらくの間離れた。
2006年9月10日の『PRIDE 無差別級GP 2006 決勝戦』において実に9ヶ月ぶりにPRIDE復帰。アリスター・オーフレイムをローキックや鉄槌で押しまくり、1R4分28秒でタップを奪う。
2007年4月8日の『PRIDE.34』にて同門のアントニオ・ホジェリオ・ノゲイラを秒殺KOしたアフリカの新星ソクジュと対戦したが、1R2分にKO負けを喫した。
[編集] 獲得タイトル
- 2000年、第3回 アブダビコンバット 99kg以下級 優勝
- 2001年、第4回 アブダビコンバット 99kg以下級 優勝(2連覇)、無差別級 優勝