ファンタジア号
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ファンタジア号
- かつて東京駅~東京ディズニーランド間を運行していた高速バスの愛称。本項で詳述。
- かつて名鉄バスセンター~広島バスセンター間で運行されていた夜行高速バスの愛称。名古屋鉄道(当時)・広島電鉄の共同運行。
- 名古屋駅~東京ディズニーランド・西船橋間で運行されている夜行高速バスの愛称。ファンタジアなごや号を参照。
ファンタジア号(ふぁんたじあごう)とは、かつて東京駅~東京ディズニーランド間を運行していた高速バスである。正式な路線名は東京湾岸線であった。日本で初めてダブルデッカーのワンマン運行を開始した路線でもある。
本項では、上野駅~東京ディズニーランドを結んでいた上野湾岸線についても記述する。
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[編集] 概説
[編集] 京葉線開通まで
当路線は、1983年に開園した東京ディズニーランドへ、国鉄を利用して全国各地から訪れる観光客を結ぶ目的で開設された路線で、国鉄バス5原則の中では「鉄道線の培養」に相当していた。国鉄バスが担当したのは、既に高速バス運行の実績があった上、多客時の増発におけるノウハウもあったこと(当時、東京近辺の事業者でこの2つのノウハウの蓄積があったのは、共同運行の東京空港交通くらいであった)に加えて、国鉄バス路線とすることで、全国の国鉄駅からの通し乗車券の発売が可能になるなど、メリットが大きかったためと考えられている。東京駅では八重洲北口(現在の日本橋口)から発着していた。これは、観光バス用のバス発着場があり、待合スペースも広かったため、多客時の対応が容易であることが理由である。
路線開設にあたって、国鉄バスでは初のデッカー車(三菱ふそうP-MS715S・富士重工車体)を導入し、同時に新しいカラーリングを採用した。このカラーリングは、その後JRバスになっても、本州のJRバス会社に引き継がれている。また、この車両の評価が、翌年の国鉄専用形式のハイデッカー化にも影響を与えている。
1985年には東北・上越新幹線が上野駅発着になったのに伴い、上野湾岸線が開設された。上野地区では京成電鉄バスのエリアだったため、こちらでは京成電鉄が共同運行事業者となっている。上野駅は入谷口からの発着となった。
東京ディズニーランドが公共交通では比較的不便な場所にあったこともあり、2路線とも乗客数は年間を通じて大変多く、国鉄バスの中でも優良路線に位置付けられてきた。
[編集] 京葉線開通直前
しかし、既に東京ディズニーランドの目の前には京葉線舞浜駅が建設されることが決まっており(1987年の時点で、もう駅が作られることは誰の目にも分かる程度の状態だった)、その京葉線の東京駅乗り入れが1990年3月に決まると、にわかに先行きに不安が感じられるようになった。
- 東京駅から35~60分かかるバスに対して、東京駅~舞浜駅はわずか10分前後で結ばれる。
- 東京駅の京葉線ホームが新幹線ホームから400m離れていたとしても、バスの待ち時間を考えれば東京駅での乗換え時間はさほど変わらない。
- 運賃もそれまでのバスが600円だったものが鉄道では210円となり、鉄道との通し乗車券ではさらに安くなる。
このことから、京葉線東京駅乗り入れ後のバスの利用者数に影響が出ることは避けられない見通しとなった。
このため、バス事業者では東京湾岸線に新たな魅力を付加するべく、ダブルデッカーの投入により、利用者の逸走を軽減する方策を採った。運行本数の減便は不可避ではあるものの、混雑する電車よりも座席定員制のバスで座って行こうと考える利用者にターゲットを絞ったのである。そういう意味では、むしろダブルデッカーの導入は看板としてではなく、座席数の確保という意味合いが強かったものといえる。
また、将来的にはワンマン運行にすることも前提となっており、関係機関への働きかけも行われることになった。ダブルデッカーでのワンマン運行は、日本では当路線が初めてであり、以後夜行高速バスでダブルデッカーが多くの路線に導入されるきっかけとなった。
[編集] 京葉線開通後
こうして、東京湾岸線にはダブルデッカーが投入され、愛称もファンタジア号と設定されることになった。運行開始当初は認可が間に合わなかったためにツーマン運行であったが、同年夏からは規制緩和によりワンマン運行が認可された。
しかし、夜の東京駅方面へはそれなりの利用者があり、場合によっては複数台運行(この時の続行便はハイデッカー車)も行なわれたものの、ダブルデッカー投入直後を除けば利用者数はかなり少なくなってしまった。翌年1991年には東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れることとなり、上野湾岸線にも影響が出ることが予想されたが、東京湾岸線の前例から、上野湾岸線への同様のてこ入れは行なわれないことになり、両路線ともこれ以後は積極的な施策は行なわれなくなっていった。ダブルデッカーも中古車ということで、故障が多くなり、末期にはほとんど使用されなくなっていた。
結局、1995年に運行廃止となったが、国鉄バス~JRバスの車両の歴史上も、また高速バス車両のダブルデッカー導入にも大きな役割を果たした路線であったといえるだろう。なお、路線免許自体は現在も残っており、ドリーム号の東京ディズニーランド乗り入れに活用されている。
[編集] 歴史
- 1983年7月1日 東京湾岸線の運行を開始。
- 1985年12月20日 上野湾岸線の運行を開始。
- 1990年3月10日 東京湾岸線にダブルデッカーを運行開始。同時に「ファンタジア号」という愛称を設定。
- 1995年5月7日 この日限りで上野湾岸線の運行を廃止。
- 1995年6月30日 この日限りで東京湾岸線の運行を廃止。
[編集] 路線概要
[編集] 運行会社
[編集] 使用車両
東京湾岸線には、開業当時からハイデッカー車が使用されていたが、1991年以降はネオプラン・スカイライナーが使用されていた。増発便・車両故障時にはハイデッカー車が使用された。
上野湾岸線ではハイデッカー車が運用されていた。
[編集] 付記
2000年4月20日より、JRバス関東と京成電鉄バスの共同運行により、新宿駅~東京ディズニーリゾート間の運行が行なわれている。これは、新宿発着の夜行高速バス車両を東京支店へ回送していたものを、客扱いの上東京ディズニーリゾートまで延長しているものである。京成電鉄はハイデッカー4列シート、JRバス関東は独立3列シートのダブルデッカー・スーパーハイデッカーを使用。
[編集] 関連項目
- ドリーム号 (高速バス)…東京ディズニーランド乗り入れには、この路線の免許を活用している。
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