フェルナンド・トーレス
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フェルナンド・ホセ・トーレス・サンス(Fernando José Torres Sanz, 1984年3月20日 - )は、スペインのマドリード出身のサッカー選手。リーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードに所属するスペイン代表である。ポジションはFW(ストライカー)。カルロス・アギレラの引退に伴い、主将を譲り受けた。
トップチームの試合に初出場で初得点を決めるなど早くから注目を集め、U-16欧州選手権とU-19欧州選手権ではそれぞれ得点王と最優秀選手に輝き、優勝に大きく貢献した。
スペイン代表のルイス・アラゴネス監督とは、彼がアトレティコ・マドリードの監督だった時からの師弟関係にある。アルベルト・ルケやダビド・ビジャが好調でフェルナンド・トーレスが不調な時でも、スペイン代表のCFはフェルナンド・トーレスの定位置である。
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[編集] プレイスタイル
アクロバティックなゴールの数々は観衆を魅了する。高い技術と身体能力を有し、FWに必要とされるあらゆる要素を兼ね備えた逸材であると評される。しかしながら真面目な性格ですぐに思い悩むところがあり好不調の波が激しく、不調時は簡単なシュートを外すこともしばしばである。またワントップを任された場合などには機能不全に陥ることも多々ある。今後は精神面での成長が期待される。
[編集] 逸話
バルセロナ戦では必ずといっていいほどゴールを決めるのに加え、バルセロナが連覇した2004-2005、2005-2006シーズンはすべて彼のゴールにより敗れているため「バルサキラー」の異名を持つ。2005-2006シーズンはプジョルを完全に打ち砕いていた。
頻繁に髪形を変えることでも有名で、EURO2004に出場した際にも髪型を変えたが「スパゲティみたい」とファンに酷評されたため2試合目からは髪を切って出場している。
近年のアトレティコ・マドリードの象徴的選手でありながら最大のライバルであるレアル・マドリードとのマドリードダービーでは得点したことがなかったが、2006-2007シーズンに待望のゴールを挙げ、嫌な記録を完全に過去のものとした。 某実況者がトレースと連呼した話は有名である。
[編集] クラブ
- 2000 - 2002 アトレティコ・マドリード(2部) 40試合 / 7得点
- 2002 - アトレティコ・マドリード 102試合 / 48得点
[編集] 代表
- 2003-2004 EURO2004・ポルトガル大会 - 1次リーグ敗退
- 2005-2006 2006FIFAワールドカップドイツ大会 - ベスト16敗退 3試合/3得点
[編集] タイトル
- 2000-2001 U-16欧州選手権 - 優勝・得点王・最優秀選手
- 2001-2002 U-19欧州選手権 - 優勝・得点王(4得点)・最優秀選手
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アトレティコ・マドリード - 2006-2007 |
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