レアル・マドリード
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レアル・マドリード | |
原語表記 | Real Madrid Club de Fútbol |
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愛称 | Madrid, Merengue, Blancos, Vikingos |
クラブカラー | 白 |
創設年 | 1902年 |
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ |
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン |
ホームタウン | マドリード |
ホームスタジアム | サンティアゴ・ベルナベウ |
収容人数 | 80,162 |
代表者 | ラモン・カルデロン・ラモス |
監督 | ファビオ・カペッロ |
レアル・マドリード(Real Madrid Club de Fútbol)は、スペインの首都マドリードに本拠地を置くサッカークラブチーム。スペイン語での呼称は「レアル・マドリー」。
ホームスタジアムはサンティアゴ・ベルナベウ。1902年に創設。愛称は、チームカラーの白をとってエル・ブランコ(El Blanco)やメレンゲ(Merengue)と呼ばれる。またここ数年は、在籍している選手の豪華さからギャラクティコ(銀河系軍団、Los Galácticos)とも呼ばれていた。リーガ・エスパニョーラのプリメーラ・ディビシオンに所属している。
1902年に創設されたが、創設当初のスペインにはサッカーを統括する団体がなく(スペイン・サッカー協会は1909年創設)、スペインを代表する唯一の団体となりFIFA発足時にはスペイン代表の団体としてFIFAの創設メンバーに名を連ねた。
UEFAチャンピオンズリーグの優勝回数は大会創設期の5連覇を含む9回と最多を誇り、FIFAにより20世紀の最強クラブに認められた。
FCバルセロナ、アトレティコ・マドリードの両クラブとは永遠のライバルである。FCバルセロナとの対戦はエル・クラシコ(El Clásico)と呼ばれ、100年近く因縁の対決を続けている。アトレティコ・マドリードとの対戦はマドリードダービー(Derbi Madrileño)と呼ばれ、この2試合は非常に白熱している。また、この3クラブをスペイン3大名門クラブと言う。 日本のメディアでは「エル・ブランコ」を意訳した「白い巨人」という呼び名が多用される。また、日本やイギリスBBCやフランスのレキップなど、欧州の多くの地域では省略時の呼び名で「レアル」を使用する事が多いが、スペイン国内で「レアル」と言うときはレアル・ソシエダ(愛称:ラ・レアル)の事を指し、レアル・マドリードはマドリー(マドリード)と呼ばれる事が多いので注意が必要である。ちなみに、「レアル」は「王の」・「王立の」という意味で、英語のロイヤルと同じである。
一般的にはサッカークラブチームが著名だが、バスケットボールのクラブチームも持つ、総合スポーツクラブである。スペインバスケットボールリーグ1部ACBのレアル・マドリード・バロンセストがそれであり、優勝回数は1位を誇る名門クラブである。
今までに数々の名プレーヤーを輩出してきたチーム。アルフレッド・ディ・ステファノ、レイモン・コパ、フェレンツ・プスカシュ、ウーゴ・サンチェス、ホルヘ・バルダーノ、ラウル・ゴンサレス、イケル・カシージャス等。
目次 |
[編集] クラブの歴史
[編集] サンティアゴ・ベルナベウ時代
1943年にサンティアゴ・ベルナベウは会長の座についた。1953-1954年シーズンに21シーズンぶりのリーグ優勝を達成した。翌1954-1955年シーズンも優勝、1956-1957年、1957-1958年も優勝した。 また、バロンドール受賞のアルフレッド・ディ・ステファノ、レイモン・コパやフェレンツ・プスカシュなどを擁し、1955年から始まったUEFAチャンピオンズカップでは第1回大会の1955-1956年シーズンから1959-1960年シーズンまで5連覇という偉業を達成した。なお、5連覇はUEFAチャンピオンズカップ、UEFAチャンピオンズリーグの最多連続優勝記録であり、2位はアヤックスとバイエルン・ミュンヘンの3連覇である。
1960年代には1960-1961年シーズンから1964-1965年シーズンまで国内リーグを5連覇。翌1965-66年シーズンはタイトルを逃すものの、1966-1967年シーズンからは1968-69年シーズンは3連覇と9年間で8度のリーグ優勝を記録した。1970年代になっても、1974-75年、1975-76年、1976-77年と国内リーグを3連覇した。ベルナベウが死亡してルイス・デ・カルロスが会長になった後の1977-1978年、1978-1979年も優勝し、1960年代前半に続いて国内リーグ5連覇を達成した。この功績がたたえられ、現在のレアル・マドリーの本拠地のスタジアムにベルナベウの名前が使われている。
[編集] ラモン・メンドーサ時代
1979-1980年シーズンまでの国内リーグ5連覇後、レアル・マドリードは国内リーグ・チャンピオンズカップというビッグタイトルから遠ざかっていたが、メンドーサが1985年に会長に就任すると1985-1986年シーズンに6シーズンぶりの国内リーグ優勝を果たす。その後も1989-1990年シーズンまでレアル・マドリード史上3度目となる国内リーグ5連覇を達成した。
また、1994年にサンティアゴ・ベルナベウ・スタジアムの改修を行い、この改修費用などでレアル・マドリードは負債を抱えることとなった。
[編集] ロレンソ・サンス時代
1996-1997年シーズンに国内リーグを優勝すると、1997-1998年シーズン、1999-2000年シーズンとUEFAチャンピオンズリーグを2回優勝した。
しかし、クラブの財政状況は悪化の一途をたどった。
[編集] フロレンティーノ・ペレス時代
辣腕経営者ペレスは旧練習場敷地の売却でメンドーサ、サンス時代に膨らんだ負債を一掃し、豊富な資金力と『レアル・マドリード』というネームバリューを生かし、「毎年一人はビッグネーム(名実とも世界に通用する選手)を獲得する」と会長就任直後に宣言。2000年には会長選で公約したルイス・フィーゴ(FCバルセロナ)を獲得し、ジネディーヌ・ジダン(2001年、ユヴェントス)、ロナウド(2002年、インテル)、デビッド・ベッカム(2003年、マンチェスター・ユナイテッド)、マイケル・オーウェン(2004年、リヴァプールFC)などスーパースターを立て続けに獲得した。これらスター選手と生え抜きの若手を組み合わせる構想を、ペレスは「ジダネスとパボネス」と表現した(ジダネスとはジダンのようなスター選手、パボネスとはフランシスコ・パボンのようなカンテラ出身の選手という意味)。
しかし、このようなフロント主導の方針にそぐわず、ビセンテ・デル・ボスケ監督やフェルナンド・イエロといったチームの主軸が離脱。ネームバリューのあるFW、攻撃MFを獲得する経営戦略は『攻撃偏重』と一部からは揶揄された。また、ポジションが重なる選手を獲得したりすることがあった(2003年のベッカム獲得時、中盤の右サイドにはフィーゴがいた)。そのため、ビッグネームとして獲得されたが、レギュラーの座を獲得できなかった選手が現れるようになり、このような立場であったオーウェン(出場試合数と比較すると得点率が高いにもかかわらず十分な出番が与えられなかった)は出場機会を求め、移籍後わずか1年でチームを去っている。
また、ビッグネームとそれ以外の選手との年俸格差が激しく、ビッグネームは年俸も銀河系(と言われている)のに対し、(下部組織からの昇格組など)それ以外の選手はスタメンであっても給料面で冷遇されていた。2003年にはクロード・マケレレが給料アップを要求したが、決裂してチームを離れた。守備の要であったマケレレの移籍により、攻撃と守備のバランスは完全に崩壊し、リーグ下位に低迷するチームに敗れることもあった。そのため、最近になって守備面を見直し、イケル・カシージャスなど守備陣を中心にビッグネーム以外の選手の給料もある程度見直されている。
これらスター偏重路線は純粋な戦力補強以外に、世界市場でのマーケティング戦略という意義も強い。2003年からは、リーグ戦が終了すると興行として世界ツアー(世界各地を回り、その国のクラブチームと親善試合を行うと同時にグッズ販売などを行う)を行うようになった。そのため、新シーズンに向けての練習期間が短く、新加入のチームメイトとの連携やコンディション維持が難しくなり、ツアーの疲労を残したまま新シーズンを迎えることもあった。巨額の資金をつぎ込んできたが、2002-2003年シーズンのリーグ優勝を最後に、ビッグタイトル獲得なしの状態が続いている。2006年2月にチャンピオンズリーグとリーグ戦での連敗により3シーズン連続の無冠が濃厚になったためペレスは責任を取る形で辞任した。ビジネス面では成功をあげたが、その注目度に応えられる結果が得られなかった時代だった。
[編集] フェルナンド・マルティン・アルバレス時代
アルバレスは、ペレス時代の『銀河系軍団』の構想を真っ向から否定した。クラブへの貢献度を給料査定の基準にし、給料分働かない者はクラブから出て行ってもらうと発言したがビッグクラブの重圧は重く、会長職を2ヶ月で辞任した。
[編集] ラモン・カルデロン時代
カルデロンは会長選に勝利するとタイトル奪還に向けて行動した。手始めに、セリエAの八百長問題でセリエBに降格したためユヴェントスの監督を辞任したカペッロを新監督として招聘。規律を重んじ、1996-97シーズンにマドリーの監督としてリーグ優勝の経験があるカペッロにチーム編成も一任した。カペッロはユヴェントス時代の教え子ファビオ・カンナバーロやエメルソン、またリヨンの5連覇に貢献したM・ディアッラを獲得し長年の懸案だった脆弱な守備面を立て直すとともに、攻撃面でもマンチェスター・ユナイテッドで起用法に不満を漏らしていたファン・ニステルローイ、母国スペイン凱旋を希望していたアーセナルのレジェスを獲得し、就任直後から堅守速攻型のチームを作り上げた。またシーズン序盤にグラベセン(スコティッシュ・プレミアリーグのセルティックへ)やバティスタ(FAプレミアリーグのアーセナルへ)など余剰戦力を放出すると共に、衰えを見せてきたロナウド(セリエAのACミランへ)やベッカム(2007年夏よりメジャーリーグサッカーのL.Aギャラクシーへ)をベンチ要員にするなど、ペレス時代に作り上げた銀河系軍団の解体も行っている。冬の市場では近未来を見据えてマルセロ、ガゴ、イグアインの3人の若手選手を獲得し、スタメンで起用するなど世代交代も図っている。ここ数年は南米路線を取っていたが、若手をカンテラ(下部組織)から昇格させるのではなく国外の選手を集めるやり方に不満の声が出ている。06-07シーズンも無冠に終わる事がほぼ確定的になったため、シーズン終了後の監督解任が確実視されている。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- リーグ : 29回
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- コパ・デル・レイ : 17回
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- スペインリーグカップ : 1回
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- スペインスーパーカップ : 7回
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[編集] 国際タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ : 9回
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- UEFAカップ : 2回
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- UEFAスーパーカップ : 1回
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- トヨタカップ : 3回
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[編集] 過去の成績
- 1976-1977 プリメーラ・ディビシオン 9位
- 1977-1978 プリメーラ・ディビシオン 優勝
- 1978-1979 プリメーラ・ディビシオン 優勝
- 1979-1980 プリメーラ・ディビシオン 優勝
- 1980-1981 プリメーラ・ディビシオン 2位
- 1981-1982 プリメーラ・ディビシオン 3位
- 1982-1983 プリメーラ・ディビシオン 2位
- 1983-1984 プリメーラ・ディビシオン 2位
- 1984-1985 プリメーラ・ディビシオン 5位 UEFAカップ 優勝
- 1985-1986 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAカップ 優勝
- 1986-1987 プリメーラ・ディビシオン 優勝 チャンピオンズ・リーグ ベスト4
- 1987-1988 プリメーラ・ディビシオン 優勝 チャンピオンズ・リーグ ベスト4
- 1988-1989 プリメーラ・ディビシオン 優勝 チャンピオンズ・リーグ ベスト4
- 1989-1990 プリメーラ・ディビシオン 優勝 チャンピオンズ・リーグ ベスト16
- 1990-1991 プリメーラ・ディビシオン 3位 チャンピオンズ・リーグ ベスト8
- 1991-1992 プリメーラ・ディビシオン 2位 UEFAカップ ベスト4
- 1992-1993 プリメーラ・ディビシオン 2位 UEFAカップ ベスト8
- 1993-1994 プリメーラ・ディビシオン 4位 UEFAカップウィナーズカップ
- 1994-1995 プリメーラ・ディビシオン 優勝 UEFAカップ ベスト32
- 1995-1996 プリメーラ・ディビシオン 6位 チャンピオンズ・リーグ ベスト8
- 1996-1997 プリメーラ・ディビシオン 優勝
- 1997-1998 プリメーラ・ディビシオン 4位 チャンピオンズ・リーグ 優勝
- 1998-1999 プリメーラ・ディビシオン 2位 チャンピオンズ・リーグ ベスト8
- 1999-2000 プリメーラ・ディビシオン 5位 チャンピオンズ・リーグ 優勝
- 2000-2001 プリメーラ・ディビシオン 優勝 チャンピオンズ・リーグ ベスト4
- 2001-2002 プリメーラ・ディビシオン 3位 チャンピオンズ・リーグ 優勝
- 2002-2003 プリメーラ・ディビシオン 優勝 チャンピオンズ・リーグ ベスト4
- 2003-2004 プリメーラ・ディビシオン 4位 チャンピオンズ・リーグ ベスト8
- 2004-2005 プリメーラ・ディビシオン 2位 チャンピオンズ・リーグ ベスト16
- 2005-2006 プリメーラ・ディビシオン 2位 チャンピオンズ・リーグ ベスト16
[編集] 現所属メンバー
Pos. | 背番号 | 国籍 | 選手名(日本語表記) | 選手名(原語表記) | 前所属チーム | 備考 |
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監督 | ファビオ・カペッロ | Fabio Capello | ユヴェントス | |||
GK | 1 | イケル・カシージャス | Íker Casillas Fernández | レアル・マドリード・カスティージャ | ||
13 | ディエゴ・ロペス | Diego López Rodríguez | アルコルコン | |||
DF | 2 | ミチェル・サルガド | Miguel Ángel Salgado Fernández | セルタ | ||
3 | ロベルト・カルロス | Roberto Carlos da Silva | インテル | ブラジルとスペインの二重国籍 | ||
4 | セルヒオ・ラモス | Sergio Ramos García | セビージャ | |||
5 | ファビオ・カンナヴァーロ | Fabio Cannavaro | ユヴェントス | |||
21 | イバン・エルゲラ | Iván Helguera Bujía | エスパニョール | |||
11 | シシーニョ | Cícero João de Cézare | サンパウロ | イタリア国籍を保有 | ||
12 | マルセロ | Marcelo Vieira da Silva Júnior | フルミネンセ | |||
15 | ラウール・ブラボ | Raúl Bravo Sanfélix | リーズ | |||
22 | フランシスコ・パボン | Francisco Pavón Barahona | レアル・マドリード・カスティージャ | |||
24 | アルバロ・メヒア | Álvaro Mejía Pérez | レアル・マドリード・カスティージャ | |||
MF | 8 | エメルソン | Fereira da Rosa Emerson | ユヴェントス | ||
6 | マハマドゥ・ディアラ | Mahamadou Diarra | リヨン | マリ共和国 | ||
14 | グティ | José María Gutiérrez Hernández | レアル・マドリード・カスティージャ | |||
16 | フェルナンド・ガゴ | Fernando Gago | ボカ・ジュニアーズ | イタリア国籍を保有 | ||
23 | デビッド・ベッカム | David Beckham | マンチェスター・ユナイテッド | |||
FW | 7 | ラウル・ゴンサレス | Raúl González Blanco | レアル・マドリード・カスティージャ | ||
10 | ロビーニョ | Robson de Souza | サントス | |||
17 | ルート・ファン・ニステルローイ | Ruud van Nistelrooy | マンチェスター・ユナイテッド | |||
18 | アントニオ・カッサーノ | Antonio Cassano | ローマ | |||
19 | ホセ・アントニオ・レジェス | José Antonio Reyes Calderón | アーセナル | |||
20 | ゴンサロ・イグアイン | Gonzalo Higuaín | リバープレート | アルゼンチンとフランスの二重国籍 |
[編集] 歴代監督
氏名 | 国籍 | 期間 |
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アルトゥール・ジョンソン | イングランド | 1910-1920 |
フアン・デ・カルセル | 1920-1926 | |
ペドロ・リョレンテ | 1926 | |
ホセ・ベラオンド | 1927-1929 | |
ホセ・キランテ | 1929-1930 | |
Lippo Hertza | 1930-1932 | |
ペドロ・リョレンテ | 1932 | |
ロバート・ファース | 1932-1933 | |
パコ・ブル | 1934-1941 | |
フアニート・アルメト | 1941-1943 | |
ラモン・エンシナス | 1943-1945 | |
パブロ・エルナンデス・コロナド | 1945 | |
ジャチント・キンコセス | 1945-1946 | |
バルタサール・アルベニス | 1946-1948 | |
Michael A. Keeping | 1948-1950 | |
エクトル・スカローネ | 1951-1952 | |
フアン・アントニオ・イピーニャ | 1952-1953 | |
エンリケ・フェルナンデス | 1953-1955 | |
ペぺ・ビジャロンガ | スペイン | 1955-1957 |
ルイス・カルニグリア | アルゼンチン | 1957-1959 |
Fleitas Solich | 1959-1960 | |
ミゲル・ムニョス | スペイン | 1960-1973 |
ルイス・モロウニー | スペイン | 1974 |
ミラン・ミヤニッチ | ユーゴスラビア | 1974-1977 |
ルイス・モロウニー | 1977-1979 | |
ブヤディン・ボスコフ | ユーゴスラビア | 1979-1982 |
ルイス・モロウニー | スペイン | 1982 |
アルフレッド・ディ・ステファノ | アルゼンチン | 1982-1983 |
アマンシオ・アマーロ | スペイン | 1983-1984 |
ルイス・モロウニー | スペイン | 1985-1986 |
レオ・ベーンハッカー | オランダ | 1986-1989 |
ジョン・トシャック | ウェールズ | 1989-1990 |
アルフレッド・ディ・ステファノ | アルゼンチン | 1990-1991 |
ラドミール・アンティッチ | ユーゴスラビア | 1991 |
レオ・ベーンハッカー | オランダ | 1992 |
ベニト・フローロ | スペイン | 1992-1993 |
ビセンテ・デル・ボスケ | スペイン | 1994 |
ホルヘ・バルダーノ | アルゼンチン | 1994-1996 |
アルセニオ・イグレシアス | スペイン | 1996 |
ファビオ・カペッロ | イタリア | 1996-1997 |
ユップ・ハインケス | ドイツ | 1997-1998 |
ホセ・アントニオ・カマーチョ | スペイン | 1998 |
フース・ヒディンク | オランダ | 1998-1999 |
ジョン・トシャック | ウェールズ | 1999 |
ビセンテ・デル・ボスケ | スペイン | 1999-2003 |
カルロス・ケイロス | ポルトガル | 2003-2004 |
ホセ・アントニオ・カマーチョ | スペイン | 2004 |
マリアーノ・ガルシア・レモン | スペイン | 2004 |
ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ | ブラジル | 2004-2005 |
フアン・ラモン・ロペス・カロ | スペイン | 2005-2006 |
ファビオ・カペッロ | イタリア | 2006- |
[編集] 歴代所属選手
[編集] GK
- フリオ・イグレシアス(スペイン)
- ボド・イルクナー(ドイツ)
- フランシスコ・ブージョ(スペイン)
- サンティアゴ・カニサレス(スペイン) 1994-1998
- イケル・カシージャス(スペイン) 1999-
- ディエゴ・ロペス(スペイン)2005-
[編集] DF
- マヌエル・サンチス(スペイン) 1983-2001
- フェルナンド・イエロ(スペイン) 1989-2003
- ロベルト・カルロス(ブラジル) 1996-
- フェルナンド・サンス(スペイン) 1997-1999
- クリスティアン・パヌッチ(イタリア) 1997.1-1999
- ミチェル・サルガド(スペイン) 1999-
- ラウール・ブラボ(スペイン) 2002-2003、2004-
- ジョナサン・ウッドゲート(イングランド)2004-
- ワルテル・サムエル(アルゼンチン) 2004-2005
- セルヒオ・ラモス 2005-
- ファビオ・カンナヴァーロ (イタリア)2006-
- カルロス・ディオゴ(ウルグアイ) 2005-2006
- アルバロ・メヒア(スペイン) 2003-
- ホセ・ガルシア・カルボ(スペイン)
- カルロス・セクレタリオ(ポルトガル)
- フランシスコ・パボン(スペイン) 2001-
- マルセロ(ブラジル) 2007-
[編集] MF
- ビセンテ・デル・ボスケ(スペイン) 1970-1984
- ホルヘ・バルダーノ(アルゼンチン) 1984-1987
- ベルント・シュスター(ドイツ) 1988-1990
- ロベルト・プロシネツキ(クロアチア) 1991-1994
- ミカエル・ラウドルップ(デンマーク) 1994-1996
- ホセ・マリア・グティエレス・エルナンデス(スペイン) 1995-
- クラレンス・セードルフ(オランダ) 1996-1999
- フェルナンド・レドンド(アルゼンチン) 1994-2000
- ロベルト・ヤルニ(クロアチア)1998-2000
- クリスティアン・カランブー(フランス) 1998-2000
- スティーブ・マクマナマン(イングランド) 1999-2003
- イバン・エルゲラ(スペイン) 1999-
- ルイス・フィーゴ(ポルトガル) 2000-2005
- サンチャゴ・ソラーリ(アルゼンチン) 2000-2005
- ジネディーヌ・ジダン(フランス) 2001-2006
- エステバン・カンビアッソ(アルゼンチン) 2002-2004
- ジュリオ・バティスタ(ブラジル) 2005-2006
- オスカル・ミニャンブレス(スペイン) 2004-
- デビッド・ベッカム(イングランド) 2003-
- クロード・マケレレ(フランス) 2000-2003
- トーマス・グラベセン(デンマーク)2005-2006
- パブロ・ガルシア(ウルグアイ)2005-2006
- アルベルト・セラーデス(スペイン)
- ギュンター・ネッツァー(ドイツ)
- フェルナンド・ガゴ(アルゼンチン) 2007-
[編集] FW
- アルフレッド・ディ・ステファノ(アルゼンチン、コロンビア、スペイン) 1953-1964
- レイモン・コパ(フランス) 1956-1958
- フェレンツ・プスカシュ(ハンガリー) 1958-67
- ルイス・デル・ソル(スペイン) 1960-1962
- エミリオ・ブトラゲーニョ(スペイン) 1983-1995
- ウーゴ・サンチェス(メキシコ) 1985-1992
- イバン・サモラーノ(チリ) 1992-1996
- ラウル・ゴンサレス(スペイン) 1994-
- ダヴォール・シューケル (クロアチア) 1996-1999
- プレドラグ・ミヤトヴィッチ(ユーゴスラビア) 1996-1999
- フェルナンド・モリエンテス(スペイン) 1997-03、2004
- サミュエル・エトー(カメルーン) 1998-2000
- ニコラ・アネルカ(フランス) 1999-2000
- ハビエル・ポルティージョ(スペイン) 2001-2004
- ロナウド(ブラジル) 2002-2007
- ロベルト・ソルダード(スペイン) 2003-
- マイケル・オーウェン(イングランド) 2004-2005
- ロビーニョ(ブラジル) 2005-
- アントニオ・カッサーノ(イタリア) 2006-
- ルート・ファン・ニステルローイ(オランダ) 2006-
- ゴンサロ・イグアイン(アルゼンチン) 2007-
[編集] 世界ツアー
レアル・マドリーは海外市場の開拓とチームのPRを兼ねて、ヨーロッパのビッグクラブに先駆け、プレシーズンに日本を始め韓国、中国、アメリカなどの国々を転戦して親善試合を行う世界ツアーを実施しており、日本では夏の風物詩となりつつある。最も早くツアーの実施国になった日本へは、2003年から3年連続で来日。2003年はFC東京と対戦し、テレビ東京でゴールデンタイムに試合が中継されたり、グッズなどの売り上げで膨大なマネーを獲得しているが、その一方でプレシーズン中に世界ツアーを実施することは選手達に大きな負担となり、必ずしも選手達には受けいれられていない。タイトルから遠ざかった時期が日本ツアーを始めた年と重なる。2005年の日本遠征は東京ヴェルディとジュビロ磐田と、東京・味の素スタジアムで対戦した。同年はフジテレビと日本テレビがゴールデンタイムで放映された。
このうち、2005年7月25日開催の東京ヴェルディ戦は0-3の敗戦を喫し、日本のチームに対しての初黒星を喫した。当時の東京VはJ1の18クラブ中17位、直近の6試合で26失点を喫するなど低迷を極めており、その東京Vに完敗したことは日本のサッカーファンの失笑を買ったが、同時にこの世界ツアーがいかにマドリードの選手に負担をかけ、プレーに悪影響を与えているかを如実に示すものであった。2006年夏には、ワールドカップドイツ大会の休養や会長交代もあり世界ツアーは実施されていない。
- 2003年
- 2004年
- 2005年
[編集] 映画化
- 2006年、同クラブを題材にした映画「レアル・ザ・ムービー」が製作された。これは、クラブのドキュメンタリー映画としてだけでなく世界の5大都市(東京、ニューヨーク、ベネズエラ、セネガル、マドリード)を舞台に、そこに住む熱狂的マドリーファンの生き様を描くフィクションとの混同形式で製作された。
[編集] 外部リンク
- Realmadrid.com - 公式サイト (スペイン語)(英語)(日本語)
- French Website Unofficial (フランス語)(スペイン語)
- Unofficial Polish Website (ポーランド語)(英語)
- Unofficial Spanish Website (スペイン語)
- 熱狂的レアル・マドリードファン - ファンサイト
- ホームユニフォーム
- アウェイユニフォーム
- サードユニフォーム
レアル・マドリード - 2006-2007 |
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1 カシージャス | 2 サルガド | 3 ロベルト・カルロス | 4 セルヒオ・ラモス | 5 カンナヴァーロ | 6 ディアッラ | 7 ラウル | 8 エメルソン | 10 ロビーニョ | 11 シシーニョ | 12 マルセロ | 13 ロペス | 14 グティ | 15 ブラボ | 16 ガゴ | 17 ファン・ニステルローイ | 18 カッサーノ | 19 レジェス | 20 イグアイン | 21 エルゲラ | 22 パボン | 23 ベッカム | 24 メヒア | 26 ガルシア | 27 デ・ラ・レー | 28 アダン | 29 カシージャ | 30 ブエノ | 38 トーレス | 39 バレーロ | 監督 カペッロ | |
リーガ・エスパニョーラ プリメーラ・ディビシオン |
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2006-2007 |
アトレティコ・マドリード | エスパニョール | オサスナ | サラゴサ | セビージャ | セルタ・デ・ビーゴ | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | バルセロナ | バレンシア | ビジャレアル | ヒムナスティク | ビルバオ | ヘタフェ | ベティス | マヨルカ | ラシン・サンタンデール | レアル・ソシエダ | レアル・マドリード | レクレアティーボ | レバンテ | |
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"G-14" ※実際は18チーム
アーセナル | アヤックス | インテル | バイエル・レバークーゼン | バイエルン・ミュンヘン | パリ・サンジェルマン | バルセロナ | バレンシア | PSVアイントホーフェン | ボルシア・ドルトムント | ポルト | マルセイユ | マンチェスター・ユナイテッド | ACミラン | ユヴェントス | リヴァプール | リヨン | レアル・マドリード