フランス革命期の衛星共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランス革命期の衛星共和国(ふらんすかくめいきのえいせいきょうわこく)は、18世紀末から19世紀初頭にかけてのフランス革命戦争およびナポレオン戦争の過程で、フランス軍によって占領された地域に建国された共和国である。フランス人はこれらの国々を姉妹共和国(しまいきょうわこく, républiques sœur)と呼んだ。
目次 |
[編集] 概要
フランス革命期の衛星共和国は北イタリアなどの地域において数多く建国された。それまでの君主制に代わって、自由と平等、特権階級の廃止といったフランス革命の理念が導入され、一定の支持を受けた。だが軍事や外交の面ではフランス共和国に依存する衛星国であり、フランスの戦争遂行のための兵站基地と化した。
フランス第一帝政期には、衛星共和国の大部分はフランス帝国に併合されるかイタリア王国に集約され消滅した。ナポレオン戦争終結後のウィーン会議の結果、衛星共和国のあった地域はブルボン家とハプスブルク家の支配下に復帰した。だが共和制の下で育まれた民族主義は1848年革命へと結実してゆく。
[編集] イタリアに存在した衛星共和国
- エトラスカ共和国(1799年)
- イリュリア共和国(1809年)
- レマニク共和国(1798年)
- リグリア共和国(1796-1805年) - ジェノバ周辺地域。フランス帝国へ併合
- アルバ共和国(1796-1801年) - フランス帝国へ併合
- チスパダーナ共和国(1796-1797年) - ポー川南岸地域。チザルピーナ共和国へ集約
- トランスパダーナ共和国(1797年) - ポー川北岸地域。チザルピーナ共和国へ集約
- ベルガモ共和国(1797年)
- ブレスチア共和国(1797年)
- ブーロン共和国(1794-1795年)
- クレマ共和国(1797年)
- ペスカラ共和国(1799年)
- ボロネーゼ共和国(1798年)
- チザルピーナ共和国(1797-1802年) - イタリア共和国へ移行
- アンコーナ共和国(1797-1798年) - ローマ共和国へ統合
- ローマ共和国(1798-1800年)
- ティベリナ共和国(1798-1799年) - ペルージャ周辺地域。ローマ共和国へ統合
- パルテノペア共和国(1799年) - ナポリ周辺地域
- イタリア共和国(1802-1805年) - イタリア王国へ移行
[編集] その他の地域に存在した衛星共和国
- バタヴィア共和国(1795-1806年) - オランダ。ホラント王国へ移行、のちフランスに併合
- シスレニア共和国(1797年) - ライン川左岸地域
- ヘルヴェティア共和国(1798-1803年) - スイス
- ローラシアン共和国(1792-1793年) - バーゼル周辺地域
- マインツ共和国(1793年)- マインツ周辺地域
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 本池立(著), 『ナポレオン―革命と戦争』, 世界書院, 1993/1, ISBN 4792721113
カテゴリ: フランス革命期の衛星共和国 | ナポレオン戦争 | イタリアの歴史