フランソワ・デュ・ボワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランソワ・デュ・ボワ(François Du Bois、フランス、ブルゴーニュ地方のラ・シャリテ・シュル・ロワール生まれ)は作曲家、マリンバソリストであると同時に、教育者、作家など多岐にわたる顔を持つ。
目次 |
[編集] 音楽デビュー
8歳より音楽を始め、17歳より、プロとして活動を開始。16歳から26歳まで、フランソワ・デュ・ボワは、交響楽団の打楽器奏者とジャズドラマーという二つのキャリアを同時に積む。クラシック界では、ロリン・マゼール、オリヴィエ・メシアン、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ、などと共演・交流し、ジャズ界においては、リシャール・ガリアノ、トリロク・グルトゥ、ドミニク・ディ・ピアッツァ、アビィ・リンカーンなどと共演している。
[編集] 回り道
20歳のとき、パリの国立コンセルバトワールで学んでいた彼は、技巧的なことを超越した悩みを抱えていた。演奏そのものに深みが欠けることを自覚していた彼は、自分が捜し求める「何か」をつかみに行くために、アフリカのブルキナファソ行きを決心する[1]。マラリアにかかったりなどの生死の淵をさ迷う経験を経つつ、ようやく彼が追い求めていたものを見つけることができた。シャーマニズムに通じる、アフリカ音楽の真髄を教わり、音楽に対する感性がより鋭くなりつつあった。フランスに帰国して数年後に、師匠であるレイ・レマと出会うことにで、彼の音楽修行はようやく終了を迎えることになる。レイ・レマは、ザイール国立バレー団(現コンゴ民主共和国)の創設者でもあり、有名な歌手、作曲家である。
[編集] マリンバ奏者としてのキャリア
カナダ人バイオリニストのエレーヌ・コルレット(現フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団第一バイオリン)とデュオを組む。その後、オーストラリア人バイオリニストのジェーン・ピーターズ(チャイコフスキー国際コンクール3位)とデュオを組み、ドイツ国内をツアーコンサートで回る。音楽評論に手厳しいこと有名な有力紙『Mainzer Rhein-Zeitung』の見出しには「マリンバとバイオリンの頂点、ここに極めれり!」という言葉が踊る(1990年12月8日付)。 次に、ピアノのリュドヴィク・セルミとのデュオを組み、欧州各国、そして日本にもツアーコンサートで初来日を果たしている。このデュオで、大人気のパーカッショングループ『Tambours du Bronx』ともコラボレートしている。デュオ解散ののち、デュ・ボワは作曲活動とCDのレコーディング作業に集中する。
[編集] その他のデュオ活動
- マリンバ/オーボエ:フランソワ・ルルー(ob)コンサートマスター、現バヴァリアラジオ局交響楽団ソリスト(ロリン・マゼール指揮)
- マリンバ/クラリネット:パトリック・メッシーナ(cl)、コンサートマスター、フランス国立交響楽団(クルト・マズア指揮)
- マリンバ/チェロ:アンリ・ドマルケット(vc)、コンサートマスター
- マリンバ/尺八:山本邦山(尺)、コンサートマスター、東京藝術大学教授
- マリンバ/バイオリン:ジャン=マルク・フィリップ=ヴァルジャベディアン(vn)、コンサートマスター
新しい音楽的地平線を求めて、1998年に本格来日する。メディアによると、妻との関係がうまく行かなくなったことがきっかけとある[2] 慶応義塾大学の総合政策学部にて、作曲法の授業を特別開講する。同年、14人のマリンバ奏者と太鼓奏者で組んだ『オーケストル・ドートル・パール』を組み、公演を行う。マリンバの世界的第一人者の安倍圭子より弟子を二人紹介され、彼女らとともに、マリンバのCDとしては別格の音作りをした作品『オリジン』を制作、NHKの『スタジオパークからこんにちは』にゲスト登場、1000万人の視聴者の前で、生演奏を披露する。
[編集] 受賞歴
- パリ市パーカッションコンクール、審査員満場一致で一位受賞
- フランス財団賞受賞
- 1993年レジオン・ヴィオレット勲章、音楽部門金章受章、国会議事堂上院の間にて授与式
(フランス共和国大統領の名の下に授与)
- ほか多数
[編集] マリンバ教則本
フランソワ・デュ・ボワは、マリンバの楽器史上、はじめての完全な教則本を書いている。3巻にわたる『4本マレットのマリンバ』はIMD出版から発売、安倍圭子が序文に「マリンバに対するアプローチに独創性があり、非常に興味深いメソードです。」と寄せている。
[編集] ディスコグラフィー
- TBMT:ピアノ2台、パーカッション2台
- Entre deux mondes:レイ・レマ、リシャール・ガリアノ、フランソワ・ルルーなど
- L'heure nuptiale: パリ・マドレーヌ寺院のパイプオルガンのための曲
- DP4:尺八奏者の山本邦山とのコラボレーション
- Marimba Night:オーケストル・ドートルパールのライブ録音
- Origine:マリンバ2台と太鼓のトリオ
- ダニエル・ゴヨンヌの「Lueurs bleue」「Il y a de lOrange dans le bleu」で、トリロク・グルトゥ、ルイス・スクラヴィスなどと共演。
[編集] 映画
『ロスト・イン・トランスレーション』(ソフィア・コッポラ監督、アカデミー脚本賞受賞)
[編集] デュボワ・メソッド®
フランソワ・デュ・ボワは、本人の名前を冠するデュボワ・メソッド® の開発者でもある。ディレクターを務めるデュボワ・メソッド® のスクールでは、企業人や経営者のために、創造性を引きだす能力を開発する講座を手がけている。講座では、デュ・ボワが体得したアフリカン・スタイルの音楽を、非常にユニークな方法で使用している。
デュボワ・メソッド® 推薦人:
- 藤江俊彦(千葉商科大学・大学院教授、日本経営管理協会副理事長、日欧キャリア・デザイン研究所顧問)
- 藤巻幸夫(株式会社セブン&アイ生活デザイン研究所代表取締役社長 兼 イトーヨーカドー取締役執行役員衣料事業部長)
- 堀義人(グロービス経営大学院学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー、ハーバード経営大学院・卒業生理事会理事)
- 茂木健一郎(脳科学者、東京工業大学大学院連携教授、東京藝術大学非常勤講師、NHK『プロフェッショナル』司会)
- 吉田寿々子(日仏協会副会長)
デュボワ・メソッド®登場メディア:
- 転職情報誌『週刊DJ仕事発見クリエイト』連載 2005年5月31日号~現在:DUBOIS METHOD これが私の生きた道
- 六本木ヒルズ・アカデミーヒルズ ウェブサイト http://www.academyhills.com/school/sp_pop577.html
- 『アエライングリッシュ』連載 2005年12月号~2006年5月号
[編集] ジャーナリズム
- 読売新聞:『読売ウィークリー』コラム連載、アジア文化音楽担当2003-2004年
- 朝日新聞:『アエラEnglish』コラム連載、キャリア・デザイン関係2005年-2006年
- ジャパン・タイムズ:『ジャパン・タイムズJr』コラム連載、キャリア・デザイン関係2007年