フーゴー・ディストラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
フーゴー・ディストラー(Hugo Distler, 1908年6月24日 - 1942年11月1日)はワイマール共和国期から第三帝国期にかけて活躍したドイツの作曲家。福音教会の教会音楽家として名高いが、チェンバロ協奏曲などの器楽曲も遺している。
ニュルンベルク出身。ライプツィヒ音楽院に当初は指揮科に学ぶが、後に教員の助言によって、作曲科とオルガン科に転属した。1931年にリューベックの聖ヤコビ教会にオルガニストとして就任した後、シュパンダウ宗教音楽学校で教鞭を執るようになり、1937年にシュトゥットガルト宗教音楽学校の教授に迎えられた。
友人の死や空爆、職務上のプレッシャー、ナチスによる常なる徴兵の脅威によって次第に鬱気味となり、1942年にベルリンで自殺を遂げた。享年34。
ディストラーの作品はポリフォニックで頻繁にメリスマが用いられており、しばしばペンタトニックに依拠している。これらの特徴のために、ディストラーの作品はナチスによって「頽廃芸術」の烙印を押された。(自殺の直接の動機は、このような政治的背景によるものとする説もみられる。)