プランタジネット朝
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ゲール人
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オニール
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アンジュー
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プランタジネット朝(ぷらんたじねっとちょう、Plantagenet、1154年-1399年)は、中世イングランドの王朝名。元来ガティネ家と云ったが、11世紀中頃にアンジュー伯領を獲得して以後、アンジュー家と称されるようになった。「プランタジネット」とはマメ科の植物エニシダ(planta genesta 日本名は「金雀枝」)のことで、エニシダをガティネ家の紋章としていたことが王家の名の由来である。アンジュー伯爵家からイングランド王位を継いだためにアンジュー朝とも呼ばれている。
フランスの貴族アンジュー伯アンリが初代国王ヘンリー2世となり、1399年にリチャード2世が廃されるまで続いた。ただし、その後に続くランカスター朝、ヨーク朝ともプランタジネット家の傍系(それも最末期になって分岐した家系)であり、広義のプランタジネット朝は1485年にヨーク朝のリチャード3世がボズワースの戦いで敗死するまで続いたことになる。
ヘンリー2世はフランスに広大な所領を持ったまま、イングランド国王に即位したため、アンジュー帝国と呼ばれる一大領邦を形成し、またフランス王侯諸家との血縁関係も強かった。それがゆえにフランス王室(カペー朝、ヴァロワ朝)との領地・王位を巡る争いは絶える事はなかった。
歴代国王に失政が多かったと言われるのも、こうした「対フランス政策」に忙殺されざるを得なかった(特にリチャード1世とジョン王はフランス人としての意識が強く、イングランド統治への関心が低かったともいわれている)同王朝特有の事情が引き起こした現象であるといわれている。プランタジネット朝は、母方を通じてノルマン朝の血筋を引いている。ヘンリー2世の母マティルダ(通称、女帝モード、イングランドの女主人)は、ノルマン朝最後の国王ヘンリー1世の娘である。
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