プロヴディフ
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プロヴディフ(Пловдив、Plovdiv)はブルガリアの都市。プロヴディフ県の県都。古代トラキア人の集落に起源を持ち、トラキアの重要都市フィリッポポリスとして長い歴史を持つ。現代ではブルガリア第二の都市である。
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[編集] 地勢・産業
トラキア平野の中央、マリーツァ川沿いに位置する。古代より交通の要所で、商工業が発展した。19世紀末より、国際見本市も開催されている。近隣の都市としては、約130キロ北西に首都のソフィア、70キロ東にディミトロフグラード、80キロ北東にスタラザコラが位置している。
[編集] 歴史
トラキア人の集落がプロヴティフの起源である。前4世紀、マケドニアのフィリッポス2世に征服され、フィリッポポリスと名付けられた。1世紀、ローマ帝国の支配下に入った。ローマ帝国時代の円形劇場など様々な遺跡が、現在まで残されている。その後、フン族、スラヴ人、ブルガール人などの侵入を経て、9世紀よりブルガリアの統治下におかれるようになった。14世紀、第二次ブルガリア帝国がオスマン帝国によって滅ぼされ、以降はオスマン帝国の支配下におかれた。イスタンブルへと至る商業路の途上に位置したため、アルメニア人、ユダヤ人など様々な民族の商人が往来することになった。
1878年、露土戦争で勝利したロシアがブルガリアに強い影響力を行使するようになったことで、国際関係が緊張した。この調停に入ったオットー・フォン・ビスマルクによってベルリン会議が開催され、ブルガリアは三分されることになった。プロヴディフは、こうして成立した東ルメリ自治州の州都となった。19世紀後半より工業化が進み、第二次世界大戦後の共産党政権時代も、重化学工業の振興に力が入れられた。
[編集] 文化
トラキア地方における文化活動の中心。総合大学、医科大学が置かれ、多くの学生を集める。
[編集] プロヴディフ出身の人物
- ステフカ・コスタディノワ:走り高跳び選手
- ツヴェタナ・ピロンコワ:テニス選手
- フリスト・ストイチコフ:サッカー選手
- ペータル・ストヤノフ:元ブルガリア大統領