ヘレン・ケラー
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ヘレン・アダムス・ケラー(Helen Adams Keller、1880年6月27日 - 1968年6月1日)は、アメリカの教育家・社会福祉事業家である。自らも障害を背負いながらも、世界各地を歴訪し、身体障害者の教育・福祉に尽くした。
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[編集] 年譜
- 1880年6月27日、アメリカ合衆国のアラバマ州、タスカンビアで誕生。地主の娘であった
- 1882年、2歳(生後19か月)のときに熱病にかかり、医師と家族の懸命な治療によりかろうじて一命はとりとめたものの、聴力と視力を失い、話すことさえできなくなった。
- 1887年、彼女の両親アーサー・ケラーとケイト・ケラーは聴覚障害児の教育を研究していたアレクサンダー・グラハム・ベル(電話の発明者として知られる)を訪れ、彼の紹介でマサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長アナグノスに手紙を出し、家庭教師の派遣を要請した。3月3日に派遣されてきたのが、同学校を優秀な成績で卒業した当時弱冠20歳のアン・サリヴァン(通称アニー)であった。彼女はその後約50年にもわたってよき教師として、そして友人として、ヘレンを支えていくことになる。
- 1900年、ヘレンはラドクリフ大学(現ハーバード大学)へ入学した。
- 1909年にアメリカ社会党に入党し、政治活動を行った。
- 1916年に世界産業別労働者組合(IWW)にも共感し、活動に参加した。そして、1917年のロシア革命を擁護した。
- 1937年(昭和12年)、日本訪問。このとき彼女は秋田犬を所望し、後に2頭を贈られた。
- 1948年(昭和23年)、2度目の来日。これを記念して2年後の1950年、財団法人東日本ヘレン・ケラー財団(現東京ヘレン・ケラー協会)と、財団法人西日本ヘレンケラー財団(現社会福祉法人日本ヘレンケラー財団)が設立されている。
- 1955年(昭和30年)、3度目の来日。熱烈な歓迎を受けた。
- 1968年6月1日、死去。
[編集] 政治的活動
ヘレンは福祉活動のみに限らず、広範囲な政治的関心をもち活動した女性であった。当時として先進的な思想をもち、男女同権論者として婦人参政権、避妊具の使用を主張し、また人種差別反対論者であり、また過酷な若年労働や死刑制度、そして第一次世界大戦の殺戮に反対した。
これらの活動のため、ヘレンは FBI の要調査人物のファイルにされている。
ただし、米国盲人援護協会(AFB)に参加してからは、表立った左翼活動は停止した。AFB側からの圧力(協会が左翼イメージをもつと寄付金がこなくなる云々)があったためと考えられる。現在でも、ヘレンに関する伝記的書籍や映画では、彼女の急進的な開明思想の部分に関しては描かれないことが多い。
[編集] その他
ヘレンは、自身の考える20世紀の三大重要人物を問われて、エジソン、チャップリン、レーニンと答えている。
また、日本では「奇跡の人」というタイトルで、何度も舞台化されているが、ここではヘレンの人格の一部分しか表現されていないことは、上記の通りである(ちなみに、奇跡の人とは奇跡を起こす人、すなわちアン・サリヴァンのことであるが、日本ではヘレンのことと誤解されている)。
[編集] 著作物
- わたしの生涯 (岩橋武夫訳、角川書店、1966年(原著1903年)、ISBN 4-04-314201-3)
- 奇跡の人ヘレン・ケラー自伝 (小倉慶郎訳、新潮社、2004年、ISBN 4102148213)
[編集] 関連書籍
- 日本ライトハウス21世紀研究会編 『わが国の障害者福祉とヘレン・ケラー』 教育出版、2002年、ISBN 4316379607。
- さくらももこキャラクター原作 関宏之監修 宮原かごめ漫画 『ちびまる子ちゃんのヘレン・ケラー』 集英社、2003年、ISBN 4083140224。
[編集] 外部リンク
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