ベルタ・フォン・ズットナー
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ベルタ・フェリキタス・ソフィー・フライフラウ・フォン・ズットナー(Bertha Felicitas Sophie Freifrau von Suttner, 1843年6月9日 - 1914年6月21日)は、オーストリアの小説家。急進的な平和主義者で、ノーベル平和賞を受賞した最初の女性。
[編集] 生い立ち
ズットナーはグラフィン・キンスキー・フォン・ウヒニッツ・ウント・テータウ(Gräfin Kinsky von Wchinitz und Tettau)として没落したオーストリア陸軍元帥フランツ=ヨセフ・グラーフ・キンスキー・フォン・ウヒニッツ・ウント・テータウ(1768年10月12日 - 1843年1月4日)とその妻ソフィー・ケルナー(1815年1月11日 - 1884年3月26日)の間に生まれる。彼女には未婚のまま死んだ兄、アルトゥール・フランツ・グラーフ・キンスキー・フォン・ウヒニッツ・ウント・テータウがいた。1873年からズットナー男爵家の家庭教師を務め、同家のアルトゥール・グンダッカー・フライヘール・フォン・ズットナーから結婚を申し込まれる。彼女の家族は結婚に反対した。1876年に彼女はアルフレッド・ノーベルが出したパリの邸宅での秘書兼家政婦募集の公告に応募する。彼女はウィーンに戻る前の1876年6月12日にアルトゥールと秘密裏に結婚した。
ズットナーは1889年に小説「武器を捨てよ Die Waffen nieder!」を発表し、平和活動の先駆者となる。1891年にはオーストリア平和の友の会を設立した。彼女の活動は国際的なものとなり、平和運動誌「武器を捨てよ」(彼女の著書から取られた誌名)を発行した。彼女の活動はヘンリー・トマス・バックル、ハーバート・スペンサー、チャールズ・ダーウィンらに大きな影響を与えた。ノーベルとの個人的関係は家政婦をやめた後も続き、1896年にノーベルが死去するまで文通が続いた。ノーベルがノーベル賞に平和部門を創設したのは彼女の影響が大きかったとされる。ズットナー自身も1905年に同賞を受賞した。「武器を捨てよ」は1914年に映画化された。オーストリアの2ユーロ硬貨はズットナーがデザインされる。
[編集] 外部リンク
- Nobel Entry
- More Info from Nobel Winners
- 2005 - the Bertha von Suttner Year
- プロジェクト・グーテンベルクにおける Works by Bertha von Suttner
カテゴリ: ノーベル平和賞受賞者 | オーストリアの小説家 | 1843年生 | 1914年没 | 人物関連のスタブ項目