ペドロ・モラレス
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ペドロ・モラレス(Pedro Morales、1942年10月22日-)はアメリカ合衆国の元プロレスラー。プエルトリコ・クレブラ島の出身だが、少年期に家族と共にニューヨーク・ブルックリンに移住。主にWWWF(現WWE)で活躍した。ニックネームは「ラテンの魔豹」。
ドロップキックの名手として知られ、日本では彼がジャイアント馬場にこの技を教え三十二文ロケット砲が誕生した、というエピソードでも有名(真偽は定かではない)。1970年代を代表する選手の一人である。
[編集] 経歴
1958年(1959年とも)にデビュー。ドロップキックを得意にしていたように、若い頃は華麗な空中殺法の使い手としてならした。WWWFには1964年のバディ・ロジャース対ブルーノ・サンマルチノ戦の行われた旗揚げ戦から参加。その後、彼のスター性に目をつけたフレッド・ブラッシーに連れられてブラッシーのホームリングだったロサンゼルスのWWAに移籍。同団体でスター選手となり、WWA世界ヘビー級王座、WWA世界タッグ王座を獲得した。
1971年、サンマルチノに替わる新しいニューヨークの主人公として、ビンス・マクマホン・シニアによりWWWFに呼び戻される。2月8日、マジソン・スクエア・ガーデンでイワン・コロフを下しWWWF世界ヘビー級王座を獲得。サンマルチノと同様、同郷の移民(米国内の200万人を越えるプエルトリコ系移民の50%以上はニューヨーク在住といわれる)からの熱狂的な支持を集めた。1972年9月30日には、サンマルチノを挑戦者にシェイ・スタジアムで防衛戦を行った(州条例により75分引き分け)。この後からモラレスの人気は序々に低迷し始め、遂に1973年12月1日、スタン・スタージャックに敗れ王座転落。
王座陥落から数ヶ月はWWWFに出場を続けていたが、やがて離れNWAサンフランシスコ地区、後フロリダ地区に転戦し活躍。1980年、WWFに戻ってWWF王者ボブ・バックランドとのコンビでWWFタッグ王座を初戴冠。1982年にはケン・パテラを破りIC王座も戴冠。WWE王座、IC王座、タッグ王座を全て制覇した最初の選手となった。1986年に引退。その後はスペイン語での実況解説も務めた。
[編集] 得意技
[編集] エピソード
- 明石家さんまが、大好きだったレスラーとしてモラレスの名を挙げている。『さんまのまんま』にジャイアント馬場がゲストとして迎えられた際、さんまは馬場に、幼い頃馬場対モラレスのシングルマッチを見に大阪府立体育会館に行った経験を語っている。
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