ペンサコラ級重巡洋艦
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ペンサコラ級重巡洋艦 | |
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艦級概観 | |
艦種 | 巡洋艦 |
艦名: | 都市名 一番艦はフロリダ州ペンサコラに因む |
前級 | オマハ級軽巡洋艦 セントルイス級重巡洋艦 |
次級 | ノーザンプトン級重巡洋艦 |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:9,097t 満載:11,500t |
全長 | 178.5m |
全幅 | 19.9m |
吃水 | 5.9m |
機関 | |
最大速力 | 32.5ノット |
航続距離 | |
乗員 | 653人 |
武装 | 20.3cm砲:3連装2基・連装2基 10門 |
単装127mm砲:4門 | |
533mm 3連装魚雷発射管:2基6門 | |
28mm機関砲:28門 | |
搭載機:2機 |
ペンサコラ級重巡洋艦( - きゅう じゅうじゅんようかん、Pensacola class Heavy Cruisers)は、アメリカ海軍の巡洋艦の艦級。アメリカ海軍がワシントン軍縮条約の制限下で設計し、軽巡洋艦として建造された。ロンドン軍縮条約の締結後、艦種の類別を変更されて初の条約型重巡洋艦となった。2隻とも戦後になってビキニ環礁で行われた原爆実験の標的艦にされた。
[編集] 概要
当初、ペンサコラ級はワシントン条約下、軽巡洋艦(それぞれCL-24・CL-25)として条約制限であった10,000トン以内の9,100トン、8インチ3連装4基12門で建造される予定であった。しかし、艦幅の拡大を防止のため艦首側と艦尾側の砲塔を3連装から連装に改められ、艦首から一番砲塔の連装、二番三連装、三番三連装、四番連装の8インチ砲計10門に収めて建造された。1929年から1930年にかけて竣工し、ロンドン軍縮条約が締結されたため1931年7月に艦種を重巡洋艦に分類される。
竣工後はカリブ海、ペルー沖や太平洋で訓練にあたった。開戦時、ペンサコラは南太平洋で警戒任務に従事し、ソルトレイクシティは航空機の輸送を行った空母エンタープライズの護衛中で、真珠湾攻撃が通報されると捜索に協力したが発見することはできなかった。その後、ペンサコラは南太平洋海戦に参加した後、ルンガ沖夜戦で日本海軍の攻撃で大破し、行動不能に陥ったが沈没は逃れ、島に寄り添って隠蔽された。修理の後、1943年11月には戦線復帰し、ギルバート諸島攻略に参加。ソルトレイクシティは東京空襲で空母ホーネット、補給船団護衛中の空母ワスプの護衛など緒戦は空母機動部隊の護衛に従事した後、サボ島沖海戦、アッツ島沖海戦などに参加し、アメリカ海軍水上戦闘(打撃)部隊の一員として重要な役割を担った。
その後は両艦ともにレイテ沖海戦、硫黄島攻略、沖縄戦などに参加し、終戦後の1946年7月、原爆実験の標的として使用され、損傷した。ペンサコラは1948年11月に処分され、ソルトレイクシティは同年の1948年5月に標的として使用、沈没した。
ペンサコラは東京ローズから「グレイゴースト(灰色の幽霊)」と呼ばれた。
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[編集] 同型艦
- ペンサコラ (USS Pensacola, CA-24)
- ソルトレイクシティ (USS Salt Lake City, CA-25)