ボズ・バレル
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ボズ・バレル(Boz Burrell, 1946年8月1日 - 2006年9月21日)は、イギリス出身のミュージシャン。
モットーは「シンプルに音楽すること」。
[編集] 概略
ボズ・バレルは1946年イギリスのリンコリンシャーにて生まれる。学生時代から自身がフロントに立ってジャズ、ブルース、ソウルなど黒人音楽をプレイしていた。18歳の時ロンドンに出てきて、プロに転向。「The Boz People」というバンドを率いて活動していた。ある時ロジャー・ダルトリーに代わるボーカリストとしてザ・フーに採用されそうになったが、結局お流れになったという。その後プログレバンドのキング・クリムゾンのオーディションを受け、後にロキシー・ミュージックを結成するブライアン・フェリーらを抑えて合格。この時バンドにはベーシストが不在だったため、ロバート・フリップにそれまで弾いたことのなかったベースを訓練され、結局ボーカリスト兼ベーシストとして参加することになった。しかし、スタジオ・アルバム「アイランド」、ライヴ・アルバム「アースバウンド」に発表した後、ロバート・フリップとの確執から脱退する。(ちなみにこの後ボズはベーシストとしての活動に比重が移っていき、バッド・カンパニー参加後からはまったく歌わなくなった。)その後はアレクシス・コーナーのバンド「スネイプ」に参加し、スタジオ・アルバムとライヴ・アルバムに1枚ずつ参加した。
その後しばらくはセッション・ミュージシャンとして様々なセッションに参加していたが、1974年に元フリーのポール・ロジャースとサイモン・カーク、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフスと共にバッド・カンパニーを結成。ボズは最後にオーディションでベーシストとして参加した。バッド・カンパニーでは徐々に曲作りにも参加を始めたが、オリジナルメンバーによるバッド・カンパニー解散後はスタジオ経営に専業。1986年には、ボーカルにブライアン・ハウを迎えた再結成バッド・カンパニーに参加するも、アルバム1枚に参加しただけで、すぐに脱退。目立った音楽活動からは一線を引いた。
そして2000年のオリジナルメンバーによるバッド・カンパニー再結成に参加し、新曲4曲を含んだベストアルバム発表に伴うツアーに参加し、久々に表舞台に姿を現した。しかし、2002年のバッド・カンパニーのツアーには大規模なツアーに消極的なミック・ラルフスと共に、本格的なジャズに没頭したいという理由で参加しなかった。
2006年9月21日、スペインにて演奏する際に、心臓発作にて死去した。享年60。
カテゴリ: イギリスのミュージシャン | 1946年生 | 2006年没