ポール・ロジャース
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ポール・バーナード・ロジャース(Paul Bernard Rodgers 1949年12月17日 - )はイギリス出身のロック歌手、ギタリスト、ピアニスト、作詞家、作曲家。ロッド・スチュアートやロバート・プラントなどと並び、ロック界最高峰のヴォーカリストといわれている。とりわけロジャースの特徴であるリズム・アンド・ブルースに根差したソウルフルな歌唱スタイルは、後のロックヴォーカリストにも大きな影響を与えている。
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[編集] 概略
ポール・ロジャースは1949年12月17日にイングランドのミドルズブラの港で7人兄弟の4番目として生まれる。ビートルズの影響を受け、様々なローカルバンドで活動を始める。1969年にはポール・コゾフ 、サイモン・カーク、アンディ・フレイザーと共にフリーを結成。フリーは当時メンバーが10代だったにも関わらず、ブルース色が濃く、シンプルなハードロックスタイルで徐々に人気を獲得していった。そして代表曲「オール・ライト・ナウ」とアルバム『ファイアー・アンド・ウォーター』が大ヒットすると、フリーの人気は一気に爆発した。
しかしその後はアルバムの商業的不振やメンバー間の不仲により、伝説的な初来日公演直後にフリーは一時解散する。ポールは早速ピースという3ピースバンドを結成したが、ドラッグに溺れたポール・コゾフを救うために、すぐにフリーの再結成に参加する。しかしやはりメンバー間の不仲は解消されておらず、すぐにアンディ・フレイザーが脱退。コゾフもドラッグ癖が悪化してしまったため、フリーは危機に陥った。そのためキーボードにラビットことジョン・バンドリック、ベースに山内テツを加入させ、、フリー名義のラストアルバム『ハートブレイカー』を発表するが、1973年に正式に解散。
フリー解散後、ジェフ・ベックやディープ・パープルからのバンド加入要請があったが、結局ロジャースは、前述のサイモン・カーク、元キング・クリムゾンのボズ・バレル、元モット・ザ・フープルのミック・ラルフス らと共にバッド・カンパニーを結成する。バッド・カンパニーはフリーの音楽性を継承しつつも、よりアメリカナイズされた楽曲スタイルで「キャント・ゲット・イナフ」など世界的なヒットを飛ばし、計6枚のアルバムを発表。そのうち4枚がアメリカでプラチナ・ディスクに輝くという成功を収める。しかしポールは肥大したバンド活動から落ち着くために、1982年バッド・カンパニーを脱退。
バッド・カンパニー脱退後の1983年、すべての楽器を自身で演奏した初のソロアルバム『カット・ルース』を発表。しかし商業的には失敗に終わる。1985年にはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジと組んでザ・ファームを結成、スーパーグループとして話題になった。しかし期待された程の成功を収めることなく、アルバム二枚を残して自然消滅。その後1991年にフェイセズやザ・フーのドラマーだったケニー・ジョーンズと組みザ・ロウを結成するが、これも商業的には失敗し、アルバム一枚で解散。しかし1993年にはソロとして数々のスーパー・ギタリストと曲ごとに共演したトリビュート作品『マディ・ウォーター・ブルース』を発表。これが起死回生のヒット作となり、グラミー賞にもノミネートされるほどの成功を収めた。1990年代中頃にはソロで来日公演も行った。
勢いに乗ったポールはジミ・ヘンドリックスをカバーしたライブ盤と自身のキャリアを総括したライブ盤の発表を挟んで、1997年にオリジナルソロアルバムとしては実に14年ぶりとなる傑作『ナウ』を発表。
1999年にはバッド・カンパニーがオリジナル編成で再結成、新曲を含むベスト盤を発表し、全米ツアーを行った。ツアー終了後はツアーに平行して制作されていたソロアルバム『エレクトリック』を発表している。2002年には早くもボズ・バレルとミック・ラルフスが抜けるものの、新メンバーを加えてバッド・カンパニー名義でツアーを行い、CD・DVDとしても発表。
2005年春より、クイーンのメンバーブライアン・メイ、ロジャー・テイラーと組んでクイーン+ポール・ロジャースの名でヨーロッパ・英国を中心としたツアーを行い、来日公演も行った。2006年には全米ツアーを行い、ポール作の新曲「Take Love」も披露された。
また、クイーンとの全米ツアーが終了した後、ポールは北米ツアーを皮切りにソロツアーを行った。日本へは「ウドー・ミュージック・フェスティバル・2006」に出演するため、ソロとしては久々の来日公演を敢行。ソロとしてのイギリスツアーが終了した後の2006年10月からクイーンとスタジオ入りし、新曲をレコーディングしている。2007年初頭にはソロ・アルバムの制作も予定している。
[編集] 特記
- TBSの刑事ドラマ「夜明けの刑事」のサブテーマ曲「yoake no keiji」を日本語で歌っていた(レコード化はされていないが、来日公演でリクエストに答えて歌ったことがある)。
- 日本人の妻との間にもうけた息子スティーブ、娘ジャスミンは共にbôa(boa)というイギリスのバンドで活動しているミュージシャン。このbôa(boa)が歌う「DUVET」は日本のメディアミックス作品Serial experiments lainのTVアニメーション版主題歌になった。
[編集] 日本公演
- 5月24日 CLUB CITTA'
- 2006年 UDO Music festival
- 7月22日 泉大津フェニックス、23日 富士スピードウェイ