ポール・ウォルフォウィッツ
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ポール・ウォルフォウイッツ(Paul Wolfowitz,1943年12月22日 - )アメリカのユダヤ系政治家、代表的なネオコンの論客。世界で最も影響力を持つ権力者の一人。2005年6月より、世界銀行総裁。
イラク戦争のアーキテクト的存在で中東民主化構想を発案するが、現在イラク政策に関しては一切口を閉ざしている。
[編集] プロフィール
ポーランド系移民のジェイコブ・ウォルホウィッツとリリアン・ドゥンデスの次男として生まれ、ニューヨーク郊外に育った。 1920年頃、祖父の代にアメリカに移民したが、ポーランドに残った親類の多くは逮捕され、ホロコーストによって処刑された。 そのため父はシオニズムに傾倒し、ソ連による反体制派やマイノリティへの弾圧に反対運動を行っていた。 1957年、ポールは14歳の時に、父がハイファのイスラエル工科大学で教鞭をとることになり、これに付き添いイスラエルに渡った。この際、彼の姉妹はイスラエルに永住を決意している。 1961年に高校を卒業後、コーネル大学で、数学と化学を学ぶ。この時、父もまたコーネル大学で教鞭をとっていた。その後、シカゴ大学で政治学の博士号を取得後、一時エール大学で教職に就く。当初はトロツキストとして青年社会主義同盟の活動家であったが、その後、保守主義者に転向し、1970年代から約20年間、国務省や国防総省で勤務。
ロナルド・レーガン政権下、国務次官補(東アジア・太平洋担当)、インドネシア大使などを歴任。ブッシュSr.政権下では国防次官(政策担当)、クリントン政権時にはジョンズ・ホプキンス大学SAISの学長を務める。
2001年1月よりブッシュ大統領(ジュニア)の国防副長官。アメリカ新世紀プロジェクトのメンバーであり、ブッシュ政権内のネオコン陣営の要石のひとり。国防長官のドナルド・ラムズフェルドとともに、「中東民主化」の大義名分の下、イラク戦争への道をつきすすんだが、占領政策の失敗などからラムズフェルド国防長官とともに更迭を要求する法案が議会へ提出された(後に否決)。
2005年3月にブッシュ大統領により、世界銀行総裁に指名される。2005年6月には、世界銀行総裁に就任。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Paul Wolfowitz: World Bank President 世界銀行による経歴
- Paul Wolfowitz: Deputy Secretary of Defense アメリカ国防総省による経歴
- Paul Wolfowitz ホワイトハウスによる経歴
カテゴリ: アメリカ合衆国国防副長官 | ネオコン | 1943年生 | 世界銀行