マイク・キンケード
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男子 野球 | ||
金 | 2000 | 野球 |
マイク・キンケード(Mike Kinkade、1973年5月6日 - )は、アメリカ合衆国ミシガン州出身のプロ野球選手。日本では2004年に阪神タイガースに所属した。ポジションは主に三塁手だが投手以外の全ポジションをこなす。185cm95kg。右投げ右打ち。日本での愛称はキンちゃん。
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[編集] 経歴
1998年にニューヨーク・メッツでメジャーデビュー。2000年のシドニーオリンピックではアメリカ代表として金メダルを獲得。またこの年の途中にボルチモア・オリオールズに移籍。翌年から出番が増え始め、2002年からはロサンゼルス・ドジャースに2シーズン所属した後、阪神に入団。
オープン戦では打率4割をマークするなど好調で、内外野に捕手まで守れるという万能振りから期待は大きかったが、シーズに入ると後述の通り死球の多さに悩まされ、日本の野球に慣れ始めたと思われる時期に死球で戦線離脱、のパターンを繰り返した。特に5月11日の読売ジャイアンツ戦では死球で左手薬指を骨折し、以降は2軍暮らしが続くことになる。
その後、8月に入り得点圏の弱さがかねてから批判されてきたジョージ・アリアスが不振に陥って首脳陣の評価が一気に低下すると、最後のチャンスをとばかりに1軍に昇格する。8月10日の横浜ベイスターズ戦で代打でヒットを打ち、翌日の試合ではアリアスに代わって一塁でスタメン出場したが、この試合でダイビングキャッチを試みた際に再び負傷。そのまま2軍に逆戻りし、結局1年で解雇された。
その後、この年のオフに新規参入した東北楽天ゴールデンイーグルスが獲得するという報道が一部で流れたが、実現には至らなかった。
[編集] 死球
日本ではわずか26試合の出場に留まったキンケードが、今でもコアな野球ファン(特に阪神ファン)の記憶に残っているのは、その驚異的な死球の多さが理由である。キンケードの打撃フォームは極端にホームベースに近付いて構えるのが特徴であり、内角への球を捌くのには有効だという声もあったが、死球が多くなるのではという不安の声はオープン戦の好調時からすでに聞かれていた。
シーズンに入るとその声は現実のものとなり、ほぼ2試合に1個のペースで死球を受け続ける。4月9日の中日ドラゴンズ戦ではマーチン・バルガスの球を頭部に受け、しばらく欠場することになった。このとき、キンケードがバルガス目指して走り出した直後に卒倒したシーンは話題になったが、これがきっかけでキンケードは打撃不振に陥ったという声もある(実際2005年にそれまで本塁打・打点の2冠だった清原和博が、山口和男から頭部死球を受けたことで深刻な打撃不振に陥り、最終的に巨人から戦力外通告を受ける遠因となっている)。
結局、キンケードは26試合で12個の死球を記録しており、もしシーズン通して出場していたのなら、シーズン死球の最多記録(24。1952年に岩本義行が記録)を大幅に更新していたことは間違いないと言われている。
[編集] 日本での通算成績
- 26試合 打率.233(86打数20安打) 3本塁打 7打点 四死球16(うち死球12) 1盗塁
[編集] エピソード
- 本塁打を打ったときも全力疾走する姿は萩本欽一にちなんで「キンちゃん走り」と呼ばれた。
- 2004年4月21日の中日戦では、「わざと右膝を出した」との理由で死球を取り消されたこともある。
- 守備はどのポジションでも無難にこなしており、時として果敢なプレーも辞さない。しかし前述の通りその果敢なプレーが、皮肉にも日本での最後のチャンスも潰すことになってしまった。