マイク・ポートノイ
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マイク・ポートノイ(Mike Portnoy、本名Michael Stephen Portnoy、1967年4月20日生まれ)はアメリカのプログレッシブ・メタルバンド、ドリーム・シアターのドラマーで、作曲家、音楽家。
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[編集] 略歴
1967年4月20日にアメリカはニューヨーク州のロングビーチ市にて生まれる。父親が地元のラジオ局でDJをしていた事もあり、ビートルズを始めとする音楽に囲まれて育ったという。
地元のバンドでドラムを叩いている頃、バークリー音楽大学の奨学金に合格し、同校に入学する事になる。入学後、たまたま練習室でギタリストのジョン・ペトルーシとベーシストのジョン・マイアングと出会い、ドリーム・シアターの母体となるバンド「マジェスティ(MAJESTY)」を結成する。その後バンド活動に専念するために大学は休学し、1989年にバンド名を現在の「ドリーム・シアター」に改名しデビュー。その後のドリーム・シアターとしての活動は同項を参照のこと。
1998年にプロジェクトとして「リキッド・テンション・エクスペリメント」を立ち上げる。トニー・レヴィン(ベース)、ジョーダン・ルーデス(キーボード)、そしてドリーム・シアターのメンバーでもあるジョン・ペトルーシ(ギター)というというメンバーで製作されたアルバムはその超絶技巧ぶりから人気を呼ぶが、アルバムを2枚製作した時点でジョーダン・ルーデスがドリーム・シアターの正式メンバーとして加入する事になり、プロジェクトは正式に解散となる。
2000年からは新プロジェクト、「トランス・アトランティック」を立ち上げる。2003年にメンバーのニール・モーズが音楽性を変更する事を機に、バンドは解散する。
2001年6月からジョン・ペトルーシがジョー・サトリアーニ率いる「G3」のツアーに参加することに伴い、ジョンのバンドに参加してツアーに同行する。2005年5月にはG3としての初来日にも同行した。なお、このツアーではジョン・ペトルーシのソロアルバムからの曲を主に演奏していたが、ソロアルバム自体でドラムを叩いているのはポートノイではなくてデイヴ・ディセンソである。
2003年からはフェイツ・ウォーニングのギタリスト、ジム・マテオスとともに「OSI」を立ち上げる。
既婚。二人の子供がいる。
[編集] 音楽性
最も影響を受けたドラマーはラッシュのニール・パートである公言している。その他にはテリー・ボジオ、ビル・ブラッフォード、ビリー・コブハム、ラーズ・ウルリッヒ、サイモン・フィリップス、ジョン・ボーナム、リンゴ・スター等から、またバンドとしてはビートルズ、ラッシュ、クィーン、イエス、ピンク・フロイド、メタリカ、アイアン・メイデン、ディープ・パープル等から影響を受けたという。またデスメタルなども聴き、更に1994年頃にはラップに傾倒していたそうである。その影響は同時期に発表したアルバム「Awake」などで感じることが出来る。
ドリーム・シアター初期の頃から点数の多いドラムセットで手数の多いドラムを叩く、というスタイルを確立している。若い頃から基本的に2バスのドラムセットで練習したと教則ビデオなどでも語っている。時代とともに点数は基本的に増加する傾向にあり、2000年頃からはついに2バスと1バスの2つのドラムを組み合わせた3バスのドラムで演奏している。この際には椅子の後ろには銅鑼(ドラ)まで用意されているほどである。また1バスの方のセットではハイ・タムとロー・タムを逆に並べたり、フロア・タムの代わりに口径の小さいタムにヘッドを緩く張ったタムを使用して低い音を得るなど実験的な要素が含まれていることが多い。ただし他のプロジェクトなどでは必ずしもこの限りではなく、前述のリキッド・テンション・エクスペリメントのアルバム、ツアー、またG3のツアーなどではツインペダルの1バスのセットで3点でまとめるなどのシンプルなセットも使用している。
奏法的には速い2バスと手数の多いフィルインが大きな特徴。ダブル・ストロークなども交えた6連や32分のフィルでギターやキーボード等とユニゾンをするのはまさに圧巻である。ドリーム・シアターの「6:00」リキッド・テンション・エクスペリメントの「Paradigm Shift」等の曲で聞けるハイハットやバスドラの連打はそのまさにその典型といえるだろう。また変拍子なども得意としている。しかしながら、その過度のドラミングからか2004年にはついに腱鞘炎になってしまった。
上述のようにドラミングのテクニックばかりが注目されるが、むしろ評価されるべきは楽曲のアレンジや展開などの構成力であろう(マイク自身もそのような発言をしている)。メンバー全員が大量の知識・アイディアを持ってるドリームシアターにおいて、うまくそれらをまとめられる彼の存在は非常に大きいといえる。しかし一方で近年は、彼自身が影響を受けた楽曲のアイデアを持ち込みすぎであるという批判もある。
1990年代中頃からコーラスもやり始めている。近年では一部曲中でボーカルを取ることもあり、その歌唱力の向上もポートノイの音楽性を語る上で大きな要素にもなっている。なお、ドリーム・シアターでコーラスをとる時は背後から頭上を通してマイクをぶら下げており、コーラスをするときとしないときとでその都度ドラム・テクがマイクスタンドを回転させている。このマイクの吊るし方は元SIAM SHADEのドラマー、淳士にも影響を与えている。
ドラムの椅子は極力高くするという。またスティックを握ったときに、握った端が完全に手の中に隠れるように持つのも彼の奏法の一つの特徴である。
使用するセットはTAMAが多いが、1990年代中頃にのみMAPEXのセットを使用していた。なお、ポートノイ本人が使用しているスネアにはスナッピーを無段階で調節する機構が導入されている。マイク・ポートノイモデルのスネア発売に当たり市販モデルにもその機構を取り付けることを本人は望んでいたが、費用と採算の面などから全く同じものを取り付けることは適わなかったという。代わりに市販モデルには2段階に調節できる機構がついている。
[編集] 性格
ドリーム・シアターにおいてはリーダー的な役割にあり、ライブDVDなどでは本人が製作や映像の編集にも携わる。例えば「Metropolis 2000: Scenes From New York」の映像特典として入っている各地の会場の撮影画像は曲の途中のブレイクでポートノイ本人が撮影したものである。また凝った仕掛けが好きらしく、アルバムを発売するときに限定版を発売したりするのは彼の発案による所が大きいという。ビジネス面でも細かく指揮を取るらしく、プロデューサーのケヴィン・シャーリー曰く「バンドの原動力」とのこと。
普段は和やかな性格でジョークもよく言うが、バンドの内部ではメンバー間の亀裂などもあり、声を荒げる事もあるという。ライブDVDの「5 Years in a Livetime」の副音声のコメントの中で、一時はそういったいざこざからバンド脱退まで決意したというエピソードも語られている。
バスケットボール好きで、ライブ時にはよくNBAのチームのユニフォームや、それを模したオリジナルのユニフォームなどを着ている。前述の「Metropolis 2000: Scenes From New York」を収録したライブの時には背番号「00」を入れたオリジナルのユニフォームを着ていた。
大の日本好きであり、それもあってか彼の肩には「マイキー」とカタカナでタトゥーが入っている(マイキーとは彼の愛称)
ライブにはよく子供を連れて来ている。ライブビデオなどではドラムセットのすぐ後ろのステージ裏で、スティックを振って遊ぶ子供の姿が納められているものがある。