マイケル・ラビン
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マイケル・ラビン(Michael Oser Rabin、1931年 - )は、著名な情報工学者であり、その分野で最も権威のあるチューリング賞を受賞した。
ラビンはラビの息子として当時ブレスラウと呼ばれた町(ドイツ領時代。現在はポーランドの一部でありヴロツワフと呼ばれている)で生まれた。1953年、ヘブライ大学で修士号を取得し、1956年にはプリンストン大学で博士号を取得している。
1959年にデイナ・スコットと共同で執筆した論文により、1976年にチューリング賞を授与された。受賞理由は「彼らの共作論文 "Finite Automata and Their Decision Problem"(有限状態機械とその決定性問題)に対して。その論文は非決定性マシンという非常に貴重な概念を導入した。この古典的論文はこの分野の後続の者たちに絶えずインスピレーションを与えてくれた」とのことであった。
非決定性有限オートマトンは計算複雑性理論の重要な概念となった。特にP≠NP予想の説明の際に重要となる。
1975年、ラビンはミラー-ラビン素数判定法を発明した。これは、数が素数であるかどうかを非常に迅速に判定できる確率的アルゴリズムである(ただし間違う可能性が若干存在する)。公開鍵暗号にはRSA暗号のように大きな素数を秘密鍵とするものも多く、高速な素数判定法は鍵生成の実装に重要である。
1979年、ラビンはラビン暗号を発明した。それは、暗号文を解読する手間が公開鍵である合成数の素因数分解と同程度と証明された最初の公開鍵暗号である。
1981年、ラビンは紛失通信(Oblivious Transfer)と呼ばれる手法を発明した。これは、送信側が2つのメッセージを送り、受信側がそのうち片方のみを受け取るが、送信側にはどちらを受け取ったか分からないというもので、マルティパーティプロトコルの部品としても使用される暗号プロトコルの要素技術の一つである。
1987年、ラビンはリチャード・カープとともに有名で効率的なラビン-カープ文字列探索アルゴリズムを開発した。
ラビンはその後コンピュータセキュリティの研究に集中している。彼はハーバード大学とヘブライ大学の情報工学の教授である。