モスタル
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モスタル(Mostar)はボスニア・ヘルツェゴビナ南部にある都市。ヘルツェゴビナ地方の中心都市。市内をネレトバ川が流れている。
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[編集] 概要
内戦以前の1991年の調査では人口は約12万6千人。民族構成は、35%がボシュニャク人、34%がクロアチア人、19%がセルビア人であった。2003年の人口は、10万5千人で、ボシュニャク人47%、クロアチア人48%、セルビア人3.45%であった。
2006年時点において、 ボシュニャク人とクロアチア人のコミュニティは川を境界にはっきりと分けられている。
[編集] 歴史
[編集] 20世紀以前
オスマントルコ領であった15世紀に町が作られた。1878年にオーストリア・ハンガリー領となり、第一次世界大戦後にユーゴスラビア王国領となった。
[編集] ユーゴスラビア
ユーゴスラビア王国は第二次世界大戦中にドイツに占領された。戦後はユーゴスラビア連邦人民共和国、さらにユーゴスラビア社会主義連邦共和国となっている。この時期、モスタルでは水力発電用のダムが建設されている。
[編集] ボスニア内戦
1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立宣言を行うと、モスタルはユーゴスラビア連邦軍の攻撃を受けた。ボスニア人とクロアチア人は町の防衛を行い、ユーゴスラビア連邦軍やセルビア人勢力は町の周辺から砲撃を行った。後にボスニア人とクロアチア人との間で戦闘が始まると、状況はさらに悲惨なものとなった。モスタルの象徴であったネレトバ川にかかる橋もこの時期に破壊された。
[編集] 復興
1994年に停戦が行われた。1995年から町の復興が開始されたが、敵対していた民族の居住区は分離されることとなった。モスタルの象徴であった橋は1999年から元通りに復旧させることとなり、2004年春に工事が完了した。なお、橋とその周辺は2005年にユネスコの世界遺産に登録された。