ヤン・オールト
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ヤン・ヘンドリック・オールト(Jan Hendrik Oort、1900年4月28日 - 1992年11月5日)は、オランダの天文学者・天体物理学者。まれにオーアトと表記されることもある。 恒星の運動を統計的に研究し、銀河系にある恒星が地球から見ていて座方向にある一点を中心に公転していることを示し、さらに電波望遠鏡を用いて銀河系の渦巻き構造を明らかにした。また、長周期彗星の源としてオールトの雲の存在を提唱したことでも知られる。
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[編集] 生涯
オールトは1900年4月28日に医者の息子としてフリースラントのフラネケル(Franeker)で生まれた。フローニンゲン大学のカプタインのもとで学び、1926年に高速度星に関する論文で博士号を取得。その後しばらくアメリカへ渡りイェール大学で研究を行なったが、帰国してからライデン大学のヘルツシュプルングのもとへ迎えられ、天文学教授となった。彼はライデン天文台長、オランダ国立電波天文台長、国際天文学連合会長なども歴任し、1992年11月5日に死去した。
[編集] 業績
[編集] 銀河系の構造
オールトの師であるカプタインは、1904年に恒星の固有運動が直線的な二方向の「流れ」となっていると指摘した(「二星流説」)。リンドブラッドはそれを発展させ、銀河系の恒星がある一点を中心に公転しているとすればこの二つの流れは、太陽に近づいてくる星は太陽より銀河系の中心近くを公転しており、太陽から遠ざかっていく星は太陽より銀河系の中心から遠くを公転している、と解釈できると考えた(「銀河系回転説」)。
オールトは太陽周辺の恒星の固有運動を統計的に処理し、銀河系回転説を実証した。さらに、リンドブラッドやシャプレーが行なっていた「銀河系の中心はいて座方向5万光年のところにある」という計算結果を3万光年であると訂正した。太陽と銀河系中心との距離は、現在もこのオールトによる値が使われている。また、太陽の公転周期が約2万2500年であること、銀河系の全質量が太陽のおよそ1000億倍であること、恒星の公転周期は銀河系中心に近いほど短いことなどを明らかにした。
[編集] 電波天文学
ジャンスキーが宇宙から飛来する電波を観測してから、電波望遠鏡を用いる電波天文学が興った。第二次世界大戦中にオールトの教え子ヴァン・デ・フルストは、水素が波長21cmの電波を放出するという予測を行なった。オールトは1951年に、ヴァン・デ・フルストらライデン大学のチームを率いてこの水素が放出する電波(21cm線)の観測に成功した。これは水素の分布から銀河系の構造を描き出すことができるということを意味しており、オールトたちは銀河系が渦巻銀河であることを明らかにした。
[編集] オールトの雲
また1950年にオールトは彗星の起源として、太陽から1光年ほどの遠く離れたところに彗星の核が帯状に貯蔵されており時々近くの星の引力の影響を受けたものが太陽に近づいてきて彗星となる、という説を述べた。この仮想的な彗星の母胎雲は、彼の名前にちなんでオールトの雲と呼ばれている。
[編集] 年表
[編集] 外部リンク
- J・H・オールト - 宇宙航空研究開発機構(JAXA)のウェブサイトにあるオールトの伝記。
- Jan H. Oort - ソノマ州立大学(Sonoma State University)物理天文学部のサイトにあるオールトの伝記。英文ページ。