ユッシ・ビョルリング
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ユッシ・ビョルリング(Jussi Björling, 1911年2月5日 - 1960年6月9日)はスウェーデン出身のテノール歌手。独特の品格、清澄な透明感、また輝かしさもそなえた美声で広く知られた。
テノール歌手を父として生まれ、父を最初の師として音楽教育を受ける。6歳の時に父、そして2人の兄と共に「ビョルリング男声四重唱団」を結成してボーイソプラノとして演奏活動を展開、アメリカでも演奏旅行を行なった。初録音は8歳の時。その後ストックホルム王立音楽院で学び、1930年同地の王立歌劇場で正式デビュー(役はドン・オッターヴィオ/モーツァルト作曲『ドン・ジョヴァンニ』)。同劇場所属の時代に再び活発な録音活動を行なって、世界的に評判を高めていく。
1936年、ウィーン国立歌劇場とザルツブルク音楽祭にデビュー。38年、アメリカ・メトロポリタン歌劇場(通称メト)に,ロドルフォ(プッチーニ作曲『ラ・ボエーム』)を歌ってデビュー。ついに国際的名声を確立し、その後欧米で活発な活動を展開するに至る。その中でも特にメトとのつながりは深く、59年までメトの看板テノールとして活躍した。
レパートリーはヴェルディ、プッチーニの諸作品、そして柔らかな美声でファウスト(グノー作曲同名作)などフランス・オペラにも適性を示した。またカニオ(レオンカヴァッロ作曲『道化師』)やトゥリッドゥ(マスカーニ作曲『カヴァレリア・ルスティカーナ』)などヴェリズモ・オペラもレパートリーとしており、軽やかなリリコ系諸役から重厚なスピント系諸役までをしなやかに歌いあげた名テノールであった。
1960年、ストックホルムにて心臓発作で死去。享年49。ステレオ録音本格化時代に入り、録音での更なる活躍も期待された矢先だけに、惜しまれる早世であった。
カテゴリ: テノール歌手 | スウェーデンの声楽家 | 1911年生 | 1960年没