ラヨシュ1世
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ラヨシュ1世(Anjou I Lajos, 1326年3月3日 ヴィシェグラード - 1382年9月10日 トルナヴァは、アンジュー家のハンガリー王(在位:1342年 - 1382年)、ポーランド王(ルドヴィク1世 Ludwik I Węgierski, 在位:1370年 - 1382年)。父はカーロイ1世。大ラヨシュ(Nagy Lajos király)とも呼ばれる。
大貴族の台頭によって弱体化していたハンガリー王国は、父カーロイ1世の治世のもと、大貴族の抑制と王権の強化に成功し、大国へと成長していた。
1342年、父の後を継いで即位したラヨシュ1世は、勢力拡大のために積極的な対外政策を行なった。まず、ヴェネツィア共和国と交戦してクロアチアとダルマチアを支配下に治めた。1370年、時のポーランド国王カジミェシュ3世が嗣子無くして死去すると、母エルジュビェタがその姉に当たるという縁故からポーランド王位も継承することとなる。
晩年には宿敵・ナポリ女王ジョヴァンナ1世を縁戚のカルロ3世に殺害させて、ナポリを再度アンジュー家の支配下に置いている。男児が無かったため、死後ハンガリー王位は年長の娘マーリア、ポーランド王位は末娘ヤドヴィガ、そして彼女らの夫たちが継承することとなった。ただし、ハンガリー王位は一時マーリアとカルロ3世(カーロイ2世)との間で争われている。
対外政策に成功を収めて勢力を拡大し、ポーランド王も兼ねたことから、ラヨシュ1世は「大王」と呼ばれている。しかしバルカン半島への勢力拡大には失敗しており、また大貴族層の反発にも遭って、晩年には大貴族層に対して特権を与えるなどの譲歩もしている。これは、ハンガリー王権の衰退を現わすものでもあった。
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