ラームカムヘーン
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肖像 | |
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基本情報 | |
正式名称 | ラームカムヘーン大王 |
タイ語表記 | พอขุนรามคำแหง |
英語表記 | King Ramkhamheang the Great |
別名・通称 |
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称号 |
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王朝・代 |
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統治地域 | 本文参照のこと |
誕生 | 1239年
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即位期間 | 1277年 - 1317年(仏暦1820年 - 1860年) |
その他の呼称 | ラムカムヘン、ラームカムヘンなど |
前の王 | バーンムアン王 |
次の王 | (プーサイソンクラーム) ルータイ王 |
ラームカムヘーン大王(1239年 - 1317年)はタイの王国、スコータイ王朝の三代目の王である。父王シーインタラーティットの三男とも次男とも言われいる。ラームカムヘーン大王碑文によれば、若い頃から武芸に達者で、ジョート国の王、クン・サームチョンと騎馬戦で勝ったので、「強いラーマ王子=(ラームカムヘーン)」となったそうである。伝説の王プラ・ルワン王を先祖とし、国王を父、国民を子と定義し、一家のような温情主義を強化した。誕生年は定かではないが、13世紀後半から14世紀後半に活躍し、タイを大国にした人物なのでタイ三大王の一人に数えられる。現在ではやや神格化され、「学問の神」的に祭られている嫌いがある。
目次 |
[編集] 外交
外交巧みで、北方のラーンナー王朝のマンラーイ王やパヤオ王国のガムムアン王と友好を結んで、北方の安全を固めるとマレー半島全体を占領したのち、カンボジアを制圧した。また自分の娘をモン族の王と結婚させたので、勢力はベンガル半島まで及んだ。中国に対しては使節を送り、国交を結んだ。
[編集] 宗教
セイロン(スリランカ)からシヒン仏を輸入した。これによって国内が大乗仏教本位から上座部仏教本位に変わった。
[編集] 文化
クメール文字を元にタイ文字を作ったとされる。この文字はラームカムヘーン大王碑文にも残っている。また戦国時代に日本で重宝された茶器、宋胡禄焼きも開発された。