ルーカシュ・クボト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ルーカシュ・クボト(Łukasz Kubot, 1982年5月16日 - )は、ポーランド・ボレスワヴィェツ出身の男子プロテニス選手。2006年の全米オープンで、ポーランド人の男子テニス選手として11年ぶりに4大大会男子シングルス本戦出場を果たし、本戦でも3回戦まで勝ち上がった選手である。自己最高ランキングはシングルス119位、ダブルス64位。身長190cm、体重86kgの長身選手。
ルーカシュ・クボトは2000年からATPツアーの下部組織の大会(チャレンジャー大会)を回り始め、2001年から男子テニス国別対抗戦・デビスカップのポーランド代表選手になった。2002年にプロ転向。クボトがデ杯代表選手になった時、ポーランド・チームは「ユーロ・アフリカン・ゾーン」の「グループ3」まで落ちていた。[1] (世界最上位の「ワールドグループ」16ヶ国を除く国々は、地域別に「アメリカン・ゾーン」/「アジア・オセアニアゾーン」/「ヨーロッパ・アフリカゾーン」に分かれ、各ゾーンごとに4レベルのグループに分かれている。)クボトは2002年にポーランドをユーロ・アフリカン・ゾーンの「グループ3」優勝に導いたが、その1回戦ではキプロス・チームと対戦し、ダブルス戦でマルコス・バグダティスとその兄ペトロスの組に勝ったこともある。2003年からは、ポーランドは「ヨーロッパ・アフリカゾーン」の「グループ2」に所属している。これまでにクボトはデビスカップで「17勝5敗」(シングルス13勝5敗、ダブルス4勝0敗)の成績を挙げてきたが、最近はほとんどシングルス戦に起用されている。
そのクボトが初めて世界的に知られるようになったのは、2006年全米オープンの3回戦進出であった。クボトは初めて予選3試合を勝ち抜き、ポーランドの男子テニス選手として「11年ぶり」の本戦出場を果たす。1995年全仏オープンでヴォイチェフ・コヴァルスキ(Wojciech Kowalski)が1回戦でギー・フォルジェ(フランス)に敗退した試合の後、ポーランド人の男子テニス選手は誰も4大大会の男子シングルス本戦に出場できなかったため、クボトの本戦出場権獲得は地元ファンを大いに喜ばせた。そして本戦では1回戦で第32シードのクリストフ・ブリーゲン(ベルギー)を破り、イスラエルの選手と対戦した2回戦にも勝って、第7シードのニコライ・ダビデンコ(ロシア)との3回戦まで勝ち進んだ。ダビデンコには 4-6, 1-6, 1-6 のストレートで完敗したが、久々に登場したポーランド人の名前が世界のテニスファンにも知られるようになった。その後はATPの一般ツアー大会で活躍している。
ポーランドのテニス界は、1970年代から1980年代前半にかけて活躍した当地最大の男子選手ヴォイチェフ・フィバクの引退後は低迷の一途をたどってきたが、ごく最近になって男女とも逸材が増えてきた。男子では2006年全米オープン3回戦に出場したクボトのほかに、ダブルスでマリウス・フィルステンバーグとマルチン・マトコフスキのペアが2006年の「テニス・マスターズ・カップ」のダブルスに出場資格を獲得した。女子には大型新人選手のアニエスカ・ラドワンスカが登場し、フィバクの後スター選手が出現しなかったポーランドでもテニスファンが大幅に増えている。