レイヨニスム
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レイヨニスム(レイヨニズム。Rayonism(Rayonnisme)またはRayism。ロシア語では、「ルチズム」(ЛУЧИЗМ (Лучизм)、ラテンアルファベットでは、Luchizm)。日本語に直訳すれば、「光線主義」)とは、ロシアにおいて、1910年代前半に生じた前衛的な絵画様式の一傾向。
この様式に属する主要な画家は、
- ミハイル・ラリオノフ(ラリオーノフ) (Michael (Mikhail) Larionov (Михаил Ларионов): 1881年-1964年)
- ナターリア・ゴンチャローワ (ゴンチャローヴァ)(Nathalie (Natalia) Goncharova (Наталия Гoнчapoва): 1881年-1962年)
- ミハイル・レ=ダンチュ (Michael (Mikhail) Le-Dantiu (Le-Dantigu) (Михаил Ле-Дантю): 1891年-1917年)
- セルゲイ・ロマノビチ (Sergey Romanovich (Сергей Романович): 1894年-1968年)
- キリル・ズダネヴィッチ (Kiril Zdanevich (Кирилл Зданевич): 1892年-1970年)
- アレクサンドル・シェフチェンコ (Alexandr Shevchenko (Александр Шевченко): 1883年-1948年)
などである。
その作品は、キュビスム、未来派、オルフィスムの影響を受けて、抽象化の進んだ作品である(作品にも幅があり、一部には具象作品が残り、一部には抽象化が徹底した、ほぼ完全な抽象といっていいほどの作品もある)。抽象絵画としては、最初期の作品群の1つといえる。
ラリオノフは、1913年の展覧会「標的展」にさいして、マニフェスト(レイヨニスム宣言)を出している。1909年の「未来派宣言」に倣ったものと思われる。
レイヨニスムは、ラリオノフとゴンチャローワが1914年にロシアを離れることにより終結した。短命に終わったが、以降のクボ・フトゥリズム、ロシア構成主義、シュプレマティスム等に大きな影響を与えた。