ロンバルディア同盟
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ロンバルディア同盟(伊:Lega Lombarda)
- 中世イタリアに存在した、自由都市間での同盟。神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世に対抗して設立された。その後、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世とも対立した。本稿ではこれを説明する。
- 1970年代にウンベルト・ボッシが設立した政治的同盟。北部同盟の前身の一つ。
ロンバルディア同盟(伊:Lega Lombarda)は、1167年12月1日に結成された北イタリア・ロンバルディア地方の26(最終的には30)の都市(クレモナ、マントヴァ、ベルガモ、ブレーシア、ミラノ、ボローニャ、パドヴァ、トレヴィーゾ、ヴィチェンツァ、ベローナ、ロディおよびパルマ等)による軍事同盟、後には経済同盟の性格も持つ。教皇派(ゲルフ)の中心。
神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世はロンカリアでの議会で北イタリア支配を要求し、1158年と1166年に北イタリアに侵攻した。これに対抗するため、ミラノを中心としたロンバルディアの都市はローマ教皇アレクサンデル3世の支持を得て軍事同盟を結成した。
1176年5月29日のレニャーノの戦いでフリードリヒ1世を破り、1183年にコンスタンツ条約で皇帝の権威を認める代わりに都市の自治を承認された。この後、同盟は1198年と1208年に更新されている。
1226年にフリードリヒ2世が北イタリア支配を目指して侵攻してくると、同盟は再びこれに対抗したがCortenuovaの戦いで敗れた。
しかし、フリードリヒ2世はミラノに対して無条件の降服を要求したため、ミラノは他の5都市と連合して徹底抗戦を続け、結局、フリードリヒ2世はブレーシアの包囲を解いて撤退しなければならなかった。
その後もロンバルディア同盟は教皇の支持を得てフリードリヒ2世と対抗したが、1250年にフリードリヒ2世が亡くなると同盟も解散した。