ヴィクトル・ズブコフ
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ヴィクトル・アレクセーエヴィッチ・ズブコフ(Виктор Алексеевич Зубков、Viktor Alexeyevich Zubkov、1941年9月15日- )は、ロシアの官僚、政治家。ロシア連邦金融監督庁長官。スヴェルドロフスク州出身。アナトリー・セルジュコフ国防相は娘婿。
1965年レニングラード農業大学経済学部を卒業する。1966年に徴兵され兵役に就いた後、1967年から1985年までレニングラード州のコルホーズ(集団農場)で働く。この間、ソ連共産党に入党し1985年にはレニングラード州の共産党機関で勤務し、いくつかの指導的なポストに就いた。1989年、レニングラード州共産党執行委員会第一副議長に選出されるが、1991年のソ連8月クーデターにより共産党は活動を停止させられた。
1992年1月から1993年11月にかけて、サンクト・ペテルブルク市対外関係委員会第一副議長を務めた。ちなみに同委員会議長はウラジーミル・プーチンであった。
1993年11月3日から1998年11月30日まで、サンクトペテルブルク国税検査部部長と同時にサンクト・ペテルブルク国税監査委員会副議長を兼務した。
1998年12月エフゲニー・プリマコフ内閣で国税庁が税務省に再編され、ズブコフのポストは廃止されたが、間もなく税務省サンクト・ペテルブルク税務部長に任命された。1999年7月23日北西連邦管区担当税務次官に就任、さらに幾日も経たずサンクト・ペテルブルク及びレニングラード州税務部長となった。
1999年8月12日レニングラード州知事選挙の候補者として登録された。選挙戦では、与党「統一」のボリス・グルイズロフ党首(後、内相、下院議長、統一ロシア党首)の支持を得たが、9月19日、対立候補のヴァレリー・セルジュコフ Valery Serdyukovに敗北した。
2001年11月5日税務省の職責を解任され、財務第一次官兼金融監督委員会議長に任命され、マネー・ロンダリング対策に当たった。2004年3月16日ミハイル・カシヤノフ首相が解任された後、金融監督委員会は財務省の組織に格下げされ、連邦金融監督庁に再編された。しかし、ズブコフは次のミハイル・フラトコフ内閣でも金融監督庁長官に留まった。
[編集] 外部リンク
- 経歴(ロシア語、ウラジーミル・プリビロフスキー Vladimir Pribylovskyによる)